大王とも称されたテオドリックの死西ローマ帝国が滅亡した後、混沌に陥ったローマとイタリアに平和を回復したのは、ゲルマン系の東ゴート族だった。その指導者がテオドリックだった。
西暦526年、大王とも称された東ゴート族の王テオドリックが亡くなった。右の画像は、テオドリック王の遺体が納められた棺。斑石製の棺なんだけど、半分に割れている。 テオドリック死後の東ゴート王国の不安
テオドリック大王の棺が納められた廟は、今でもラヴェンナの郊外の松林の中に残っている。それが右の画像。しかし、彼の王国は、彼の死後まもなく滅亡してしまったんだ。その予兆は彼が亡くなる前からあったんだけどね。 まずは東ローマ帝国との関係の悪化だ。西暦497年には、東ローマ帝国さえもがテオドリックによるイタリア支配を承認したんだけど、西暦518年にユスティヌス1世が即位してからはアリウス派の信仰をめぐって関係が悪化したんだ。 更には、東ゴート王国内に住むローマ人との関係も悪化した。というのも、東ローマ帝国と同調して、ローマ・カトリック教会もアリウス派に対する姿勢を厳しくしたんだ。その結果、カトリックを信仰するローマ人たちとアリウス派を信仰するゴート人との間に対立が生じてしまった。 加えて、同盟国ヴァンダル(北アフリカにあったゲルマン系の国)の離反もあった。西暦523年にヴァンダルの王トラサムンドが亡くなり、王位を継承したヒルデリックは東ゴート王国との同盟関係を断ち、東ローマ帝国と結んだんだ。 同じ年、テオドリックは有力な後継者を失ってもいる。息子のいないテオドリックにとって、西ゴート族の出身で娘婿となっていたエウタリックは、有力な後継者だった。しかし、そのエウタリックもテオドリックよりも早く亡くなってしまった。 そして西暦526年8月30日、テオドリック大王死去。王位を継承したのは幼い孫のアタラリック、摂政を務めたのはテオドリックの娘で幼王の母アマラスウィンタだった。 |
東ゴート王国の滅亡西暦527年、東ローマ帝国において皇帝ユスティニアヌスが即位。彼が派遣した将軍ベリサリウスはヴァンダル王国を滅亡させた。西暦534年、テオドリックの後継者アタラリック王が死去。翌年にはテオドリックの娘で摂政を務めていたアマラスウィンタが暗殺された。 アマラスウィンタの暗殺は、東ローマ帝国に開戦の口実を与え、将軍ベリサリウスがシチリアに上陸し、東ゴート王国と東ローマ帝国との戦いが始まった。 東ゴート王トティラは、東ローマ帝国軍を何度も撃ち破り、両軍はローマの争奪戦を繰り返した。しかし、東ゴートの希望の星トティラ王は、西暦552年に戦死してしまった。 トティラ王の後継者テヤ王も同じ年に戦死。そして西暦555年、東ゴート軍の抵抗は収束し、東ゴート王国と東ローマ帝国の戦いは終わりを告げた。テオドリック大王の死から29年後のことだった。
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