フランス王シャルル7世からルイ11世へ西暦1435年にアラス条約が締結されてブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボン善良公と王太子シャルル(フランス王シャルル7世)の和解が成立し、西暦1453年にはイングランドとフランスとの間の百年戦争も終結した。それからしばらく経った西暦1456年10月、父王シャルル7世と対立した王太子ルイ(後のフランス王ルイ11世)が出奔し、ブルゴーニュ公を頼ってきた。 王太子の到着を聞いたブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボン善良公は、その頃はフリースランド征服のためにオランダにいたらしいんだけど、王太子を迎えるために慌てて今のベルギーのブリュッセル(ブラッセル)まで出てきたらしい。 数年後の西暦1461年7月、フランスを百年戦争の危機から救った国王シャルル7世が亡くなり、王太子がフランス王ルイ11世として即位した。このルイ11世は、やがて世界の蜘蛛とも称される策謀家となっていく。 ブルゴーニュ公フィリップ善良公からシャルル突進公へ他方のブルゴーニュ公のほうでも、西暦1467年にヴァロワ家系第3代のフィリップ・ル・ボン善良公が亡くなり、第4代となるシャルル・ル・テメレール突進公がブルゴーニュ公となった。ブルゴーニュ公となったシャルル・ル・テメレール突進公は、まずはブリュッセルなどのブラバン・フランドル地方を周り、人々の忠誠の誓いを受けている。(下の画像はベルギーのブリュッセルにある「王の家」。シャルル突進公の子孫に当たるハプスブルク家のカール5世がブラバン地方の政庁として使ったらしい。)
ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレール突進公と
即位の翌年、ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレール突進公は、ヨーク家のイングランド王エドワード4世の妹に当たるマーガレット・オブ・ヨークと結婚している。 |
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