ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1792年、パリの民衆がテュイルリー宮殿を襲撃し、フランス国王ルイ16世を監禁した。


スイス傭兵たちに捧げられたライオン記念碑

スイスにあるルツェルンの街は、湖に面した観光地。夏ともなれば、暑さを逃れるためにやってきた観光客がルツェルンの街を散歩している。

そんなルツェルンの街の一角に、ライオン記念碑(下の画像)がある。この記念碑は、フランス革命の際に国王ルイ16世を中心とするフランス王家の人々を守って戦死したスイス傭兵たちに捧げられたものなんだ。

スイスのルツェルンにあるライオン記念碑(フランス革命で戦死したスイス傭兵の碑) スイスのルツェルンにあるライオン記念碑(フランス革命で戦死したスイス傭兵の碑) スイスのルツェルンにあるライオン記念碑(フランス革命で戦死したスイス傭兵の碑) スイスのルツェルンにあるライオン記念碑(フランス革命で戦死したスイス傭兵の碑)

国際的な孤立を深める革命フランス

西暦1789年に火がついたフランス革命なんだけど、その後のフランスは国内でも王党派と共和派との間の亀裂が深まり、国外では革命を押さえ込もうとする諸外国の中で孤立を深めていた。そんな西暦1792年4月20日、革命フランスは王権の回復を要求するオーストリアに宣戦を布告したんだ。

しかし、オーストリアと同盟を結んでいたプロシアが参戦したこともあり、革命フランスは守勢に立たされることとなった。そんな不利な状況を国王ルイ16世や貴族たちによる陰謀によるものと考えていた民衆は、フランス国王ルイ16世の廃位を要求するようになっていった。

フランス国王ルイ16世を守って戦死したスイス傭兵たち

そして西暦1792年8月10日、武器を持って蜂起したパリの民衆は、フランス国王ルイ16世がいたテュイルリー宮殿に襲いかかった。その時、テュイルリー宮殿を守っていたのは、伝統的にフランス国王の近衛兵として雇われていたスイス傭兵たちだった。

無数のパリ市民たちに対して、守備側のスイス傭兵たちの兵力は約600名。多勢に無勢の抵抗はむなしく、やがてスイス傭兵たちは全滅してしまった。上の画像にあるライオン記念碑は、テュイルリー宮殿で全滅したスイス傭兵たちのために西暦1821年に建てられたもの。

それから

結局、ルイ16世はパリの民衆によって捕らえられ、タンプル塔に監禁される。そして翌年の西暦1793年にはフランス国王ルイ16世、更には王妃マリー・アントワネットも処刑されてしまった。(ルイ16世とマリー・アントワネットの墓碑は、パリ郊外のサン・ドニ聖堂で見ることができるよ。)

そして現代、パリの民衆によってスイス傭兵たちが全滅させられたテュイルリー宮殿は既に無いけれども、その跡地はテュイルリー庭園としてパリ市民や観光客たちの憩いの場所になっているんだ。それが下の画像。

フランスの首都パリにあるテュイルリー庭園 - テュイルリー宮殿跡地

今でも見ることの出来るスイス傭兵

おっと、大事なことを書き忘れるところだった。ルイ16世とマリー・アントワネットを守って全滅したスイス傭兵なんだけど、今でもイタリアへ行けばスイス傭兵を見ることができる。

それはイタリアの首都ローマヴァティカンの中心にあるサン・ピエトロ大聖堂を守備しているのは、ローマ教皇の衛兵隊を構成するスイス傭兵たちなんだ。

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