元フランス国王ルイ16世の処刑西暦1770年、既にマリー・アントワネットと結婚していたブルボン家の皇太子ルイ16世が、フランス王として即位した。それから19年後の西暦1789年7月14日、蜂起したパリ市民がバスティーユを襲撃。更に10月5日には民衆がヴェルサイユ宮殿を襲い、フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットをパリに連行した。 その2年後の1791年6月21日、国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットは国外脱出を試みるも失敗。翌年の1792年9月21日にはフランスの王政が廃止された。そして1793年1月21日、元フランス国王ルイ16世が処刑された。 元王妃マリー・アントワネットの処刑既に夫であるルイ16世が処刑されて未亡人になっていたマリー・アントワネットは、1793年8月にコンシェルジェリーに移された。(コンシェルジェリーとは、パリに現存するフランス最古の王宮の一部。フランス革命後は王侯貴族の牢獄として使われた。)王子たちとも引き離されたマリー・アントワネットは、厳重な監視をつけられ、たった一人で牢獄に閉じ込められていた。その彼女に救いを与えていたのが、コンシェルジェリーの中にある礼拝堂(下の画像。「マリー・アントワネットの礼拝堂」と呼ばれている)だった。
そして1793年10月16日、元王妃マリ・アントワネットの処刑が行われた。フランス王家の墓のあるパリ郊外のサン・ドニ聖堂の中では、ルイ16世とマリー・アントワネットの像(下の画像)を見ることが出来る。
また、同じサン・ドニ聖堂の地下のクリプトには、ルイとマリーの墓も設けられているんだ。
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