ナポレオンとジョゼフィーヌの結婚
西暦1795年に王党派の暴動を鎮圧し師団長に昇進したナポレオンは、西暦1796年3月9日にジョゼフィーヌ・ド・ボーアルネと結婚した。言うまでもなく、後に皇帝ナポレオンの皇后となるジョゼフィーヌだよね。(右の画像はダヴィドによる「皇帝ナポレオンの戴冠式」におけるジョゼフィーヌ。) ナポレオンのイタリア遠征ジョゼフィーヌと結婚したばかりのナポレオンナンだけど、のんびりと新婚生活を楽しむ時間はなかった。結婚式の翌月、つまり西暦1796年4月には、ハプスブルク家のオーストリア軍と戦う為にイタリア遠征に参加したんだ。イタリアにおいてオーストリア軍を撃ち破ったナポレオンは、西暦1796年5月15日にはイタリア北部の街ミラノに入った。ミラノといえば、見逃せないのは巨匠ダヴィンチの代表作「最後の晩餐」だよね。ナポレオンも「最後の晩餐」を見たらしいよ。(下の画像は、ミラノのサンタ・マリア・デラ・グラツィエ教会に見るダヴィンチの「最後の晩餐」。)
イタリアで戦い続けるナポレオン
といっても、これで戦争が終わったわけじゃない。ナポレオンは引き続きオーストリア軍と戦い続け、西暦1796年11月にはアルコレの戦いでフランス軍がオーストリア軍を大敗させている。ちなみに、右の画像はジャン=アントゥアン・グロが描いた「アルコレ橋上のナポレオン」(但し部分だけど)なんだ。ある意味では皮肉なんだけど、ナポレオンの宿敵だったロシアの古都サンクト・ペテルブルクにあるエルミタージュ美術館で見ることが出来るよ。 更に翌年1月にもオーストリア軍を撃破し、西暦1797年4月にはレオーベンの仮講和条約を結び、ナポレオンはフランス国民にその名をとどろかせたんだ。 そして西暦1797年10月にはオーストリアとカンポ・フォルミオの和約を結んだ。これはナポレオンの独断だったらしいんだけど、なんせナポレオンの功績が大きすぎて本国フランスの政府も文句は言えなかったらしい。 イタリアの美術品・文化財を
本国フランスの革命政府にとってのナポレオンの功績は、オーストリアとの戦争を勝利に導いただけじゃなかった。イタリアから多くの財宝をフランスに送り、革命政府の財政を改善したことも彼の功績だった。 |
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