ナポレオンの第二次イタリア遠征西暦1796年の第一次イタリア遠征によってフランス国民の英雄となり、西暦1798年にはエジプト遠征を行ったナポレオンは、西暦1799年には統領政府の第一統領に就任して実質的にフランスに独裁的な支配者となりつつあったんだ。その翌年の西暦1800年には第二次イタリア遠征を行って、「雪のアルプス越え」で更に名を高めている。6月のマレンゴの戦いでは敵の奇襲を受け、部下のドビ将軍を戦死させるなど、苦戦をしたんだけどね。 王党派によるナポレオン暗殺未遂と終身統領就任着々と自らの権力基盤を固めていくナポレオン。対する王党派は危機感を高めていく。ブルボン家のプロバンス伯(後の復古王政でルイ18世となる)は、何度もナポレオンに手紙を書き、王政復古を求めていた。もちろん、ナポレオンがそれを受け入れるはずも無い。そして西暦1800年12月24日のクリスマス・イヴの日、フランスの首都パリのオペラ座へと向かうナポレオンの馬車に爆弾がしかけられた。失敗に終わったこのナポレオン暗殺計画は、王党派によるものだった。
ちなみに、上の画像は現在のパリのオペラ座(正確にはオペラ・ガルニエ)。今のオペラ座の建物は、ナポレオンの甥のナポレオン3世時代に完成したものだから、ナポレオン1世の頃の建物じゃないんだけどね。 ナポレオンが皇帝となり、フランス第一帝政が成立西暦1802年8月、国民投票の結果、ナポレオンは終身統領となった。統領とはされていても、実質的にはフランスの君主だよね。それから二年が経った西暦1804年3月21日、ブルボン家のコンデ公の子孫に当たるアンガン公が銃殺された。ナポレオンを亡き者としてアンガン公をフランス王にしようとの王党派の陰謀に加担したとされたんだ。
一週間後の西暦1804年3月27日、フーシェが元老院にある提案を出した。ナポレオンに「不滅の地位」を与えようという提案だった。そして西暦1804年5月18日、フランス元老院はナポレオンに皇帝の地位を与えることを決議したんだ。こうしてナポレオンを皇帝とするフランス第一帝政が成立したんだね。(右の画像はパリのアンヴァリドあるいは廃兵院にある皇帝ナポレオンの肖像画。) 皇帝ナポレオンの戴冠式フランス元老院がナポレオンに皇帝の地位を与える決議をして半年あまり経った西暦1804年12月2日、フランスの首都パリにあるノートルダム聖堂に多くの人々が集まった。そこでフランス皇帝ナポレオンの戴冠式が行われたんだ。(下の画像はダヴィドによって描かれた「皇帝ナポレオンの戴冠式」。)
戴冠式ではイタリアのローマからわざわざやって来て参列していたローマ法王ピオ7世から帝冠を与えられるのが当たり前なんだろうけど、英雄ナポレオンは自らの頭上に帝冠を載せたんだそうな。それだけじゃなくて皇后ジョゼフィーヌの頭上にも自ら皇后冠を載せている。 皇帝としての戴冠の際、フランスの領土を守ること、国民の権利・平等・自由を尊重することをナポレオンは宣言している。それが果たしてどうなっていくのか。ナポレオンの物語はまだまだ続くよ。
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