ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1806年、フランス皇帝ナポレオンがプロイセン王国の首都ベルリンに入城した。


イタリア南部ナポリ王国を征服

西暦1805年、トラファルガーの海戦でネルソン提督にしてやられたナポレオンは、アウステルリッツの会戦では会心の勝利を得ている。

でも、皇帝ナポレオンの戦いはまだまだ続くんだ。明けて西暦1806年、まずはイタリア南部カンパーニャ地方にあるナポリ王国を征服し、兄のジョゼフ・ナポレオンをナポリ王としている。(下の画像はイタリア南部ナポリに残るナポリ王宮。)

イタリア南部の街ナポリにある王宮

プロイセン王国(今のドイツ)とナポレオンとの戦い

西暦1806年7月にはフランスとドイツの国境付近を流れるライン川の流域の西南ドイツ諸国をライン連邦として統一し、フランスの保護下に置いたんだ。

ところが、それに反発したプロイセン王国(今のドイツ)のフリードリヒ・ヴィルヘルム3世がライン連邦の解体を要求し、第4回対仏大同盟が結成された。

再び始まった戦争。皇帝ナポレオンはザールフェルト、ワイマール、イエナ、アウエルシュタットにおいて勝ち続け、西暦1806年10月27日にはプロイセン王国(今のドイツ)の首都ベルリンに入城している。(下の画像は、ナポレオンが入城したベルリンのブランデンブルク門。)

ドイツの首都ベルリンに見るブランデンブルク門

ナポレオンの勝利とティルジットの和約

プロイセン王国(あるいはプロシア王国)を撃ち破ったフランス皇帝ナポレオンは、続いてロシアと戦い続けた。西暦1807年6月にはフリートラントの戦いにおいてロシア軍を撃ち破り、7月にはティルジットの和約を結ぶこととなったんだ。

ドイツの首都ベルリンにあるシャルロッテンブルク宮殿 そのティルジットの和約(条約)によって、プロイセン王国はエルベ川以西の領土をナポレオンの弟ジェロームが治めるヴェストファーレン王国に譲ることとなった。

ドイツ騎士団・プロイセン公国から続く長い歴史を誇るプロイセン王国は、重大な危機に直面したわけだ。(右の画像は、ベルリンに残るプロイセン公国時代のシャルロッテンブルク宮殿。)

それからのプロイセン王国では、シュタインやハイデルベルクなどによる改革が猛スピードで進められた。著名な戦略理論家で「戦争論」の著者クラウゼヴィッツもこの時代の人だよね。そして、やがてナポレオンとヨーロッパ諸国にも歴史の転換点がやってくるわけだ。

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