ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1817年、イギリスの経済学者リカードが比較優位説(比較生産費説)によって自由貿易の利益を主張した。


イギリスの経済学者リカード

やがて著名な経済学者となるデヴィッド・リカードは、西暦1772年にイギリスの首都ロンドンで生まれた。やがてリカードはロンドンの金融街シティで株の仲買人として働いたらしい。

その後、西暦1810年にリカードは貨幣数量説を説いて当時のイングランド銀行(下の画像の左半分に写っている)の金兌換停止を批判している。

イギリスの首都ロンドンの金融街シティの風景

そして西暦1814年、株の仲買人として成功した42歳のリカードは、ビジネスから身を引いた。いよいよ本格的に経済学者リカードとして活動していくわけだね。

リカードの比較優位説(比較生産費説)とポルトガルのワイン

それから4年後の西暦1817年、リカードは比較優位説(あるいは比較生産費説)を主張したんだけど、その説明で必ず登場するものと言えば、ワインと毛織物だよね。二つの国のワインと毛織物の生産コストを比較して、優位な方の生産に特化することが両国の経済的な効率は改善すると。その為には自由貿易が利益になるというわけだ。

このリカードの比較優位説(比較生産費説)の説明の背景にあるのは、百年ほど前の西暦1703年にポルトガルとイギリスが結んだメシュエン条約だった。その条約によって、イギリスはポルトガルのワインの輸入における関税を引き下げる。他方でポルトガルはイギリスの毛織物を輸入することが取り決められたらしい。

ポルトガルのダン地方の赤ワイン

メシュエン条約が結ばれた結果、18世紀前半にイギリスに対するポルトガルのワインの輸出量が飛躍的に増えたんだそうな。(上の画像はポルトガルの赤ワイン。)

ところが、ポルトガルにおいては、ワイン用のブドウの栽培に不向きな土地にまでブドウが植えられてしまった。ワインの品質の低下と生産過剰となり、イギリスの商人がポルトガルのワインを買い叩くことになったらしい。

そんな状況を改善しようとしたのが、西暦1755年のリスボン地震からの復興を取り仕切ったポンバル侯爵だった。彼は「アルト・ドーロブドウ栽培会社」を設立し、ワイン用のブドウの栽培を制限し、特に輸出が伸びたポート・ワインの品質の維持にも努めたらしい。

イギリスの毛織物製品と貿易黒字

他方で、イギリスで生産された毛織物製品のポルトガルへの輸出はそれ以上の規模で増加したらしい。その結果、ポルトガルに対するイギリスの貿易黒字は、3倍から4倍に拡大している。(下の画像はイギリスのコッツウォルズ地方の子ヒツジたち。やがて彼らが成長したら、その羊毛から毛織物が作られるのかな。)

イギリスのコッツウォルズの子ヒツジたち

17世紀末にはポルトガルの植民地ブラジルで金が発見され、本国に大量の金がもたらされたんだけど、その多くが貿易赤字の為にイギリスに流れ込んだんだそうな。

メシュエン条約が締結された時、アダム・スミスはイギリスに不利な条約だと評したらしい。でも、結果を見ると産業革命を迎えようとしていたイギリスに大きな利益をもたらしたみたいだよね。

ポルトガルのワインは安くて美味しい

話は再びポルトガルのワインのこと。リカードの比較優位説(比較生産費説)とは関係ないんだけどね。ポルトガルといえば、ポート・ワインとかマデイラとかが浮かぶかな。でも、ポルトガルの普通の赤ワインも白ワインも安くて美味しいんだ。

ポルトガルのヴィニョ・ヴェルデ(緑のワイン)のエチケット

私が特に気に入っているのが、ポルトガルのヴィニョ・ヴェルデ(緑のワイン)。軽くて爽やかで、お昼を食べながら飲むのに最適なんだ。上の画像は、私の気に入りのヴィニョ・ヴェルデのエチケットだったりする。

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