ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1822年、イギリス王ジョージ4世がスコットランドを訪問し、キルトを着用した。


スコットランドを訪問したハノーバー家のイギリス王ジョージ4世

ご承知の通り、イングランド王ヘンリー8世やエリザベス1世などのテューダー家の王位を継承したのが、スコットランドから出たスチュアート家だよね。テューダー家のイングランド王ヘンリー7世の王女の子孫ということで、スチュアート家はイングランド王位を継承したわけだ。

そのスチュアート家のイングランド王ジェームズ2世名誉革命で国を追われ、オレンジ公ウィリアムとメアリー、その妹のアンと引き継がれたイングランド王位を継承したのが、ドイツのハノーバー家だった。というのも、ハノーバー家にはスコットランド王家の血が流れていたから。

ところが、ハノーバー王家のイギリス王で初めてスコットランドを訪問したのが、ジョージ4世だったらしい。それが西暦1822年のことだったんだけど、それ以前のハノーバー家のイギリス王は一度もスコットランドを訪問しなかったんだそうな。

スコットランドのホーリールード宮殿から眺めたエディンバラ(イギリス)

ようやくスコットランドの首都エディンバラを訪れたイギリス王ジョージ4世は、スコットランド女王メアリー・スチュアートゆかりのホーリールード宮殿で、スコットランドのクラン(氏族)代表たちの謁見を受けたんだそうな。(上の画像は、そのホーリールード宮殿から眺めたエディンバラの様子。)

スコットランドのキルトを着用したイギリス王

その謁見の際、イギリス王ジョージ4世はスコットランドのキルトを着用し、各地から集まっていたクラン(氏族)代表たちから喝采を受けたらしい。(下の画像は、エディンバラで見たスコティッシュ・イブニングで着用されているキルトの様子。)

スコットランドのエディンバラで見たスコティッシュ・イブニングの様子(イギリス)

スコットランドへ来てキルトを着るなんて、ちょいとサービス精神が旺盛なだけで、大したことないやん。と思っちゃいけない。

というのも、名誉革命によってスチュアート王家のイギリス王ジェームズ2世が海外に追放された後もスコットランドのハイランドではジャコバイトたちが反乱を繰り返していたんだ。ジェームズ2世の孫のボニー・プリンス・チャーリーは西暦1745年にエディンバラ城を攻撃している。

そして西暦1746年にはスコットランドのジャコバイトはカロデンの戦いで粉砕された。その後、スコットランドのキルトの着用は禁止されたという歴史があった。そのキルトをイギリス王ジョージ4世が着用しているのを見て、スコットランドの人々は喜んだというわけだ。

ちなみに、それ以後もイギリス王家の人々がスコットランドで過ごす際には、キルトを着用することが多いみたい。チャールズ皇太子がキルトの服を着ている様子をテレビで見たりするよね。

リージェント・パークはジョージ4世ゆかり

そんなジョージ4世は、若い頃に国事を取り仕切る摂政(英語でリージェント)となっていた。病気に倒れた父親のジョージ3世の代理というわけだね。(但し、後のジョージ4世があまりに不良息子で巨額の借金を抱えたことなどが原因でジョージ3世は病気になったとも言われているけど ・・・。)

そのリージェントだった頃のジョージ4世が自分の宮殿を作ろうとして結局は中止し、その土地を公園にしたのが、今のロンドンリージェント・パークなんだそうな。

イギリスの首都ロンドンのリージェント・パークで見た純白のバラ(アイスバーグ)

そのリージェント・パークには、数百種類のバラ、数万本のバラが栽培されているんだそうな。上の画像は初秋のロンドンのリージェント・パークで見た純白のバラ(アイスバーグ)なんだけど、こんな公園を楽しめるのも若き日のジョージ4世のおかげかも ・・・。

ついでながら、リージェント・パークについてイングランド王ヘンリー8世にも感謝が必要かもしれない。というのも、このリージェント・パークの土地もヘンリー8世が解散させて王家が没収した修道院の所領だったんだ。そんな修道院は多い(グラストンベリー修道院ファウンテンズ修道院聖アウグスティヌス修道院などなど)けどね。

バッキンガム宮殿やブライトン、そしてスコッチ・ウィスキー

イギリス王ジョージ4世ゆかりの建物や場所は他にもあるね。例えばロンドンの観光名所のひとつで衛兵交代で有名なバッキンガム宮殿も、ジョージ4世がイギリス王の頃に王宮として改築が始まっているね。

更には、イングランド南部の海辺にあるリゾート地ブライトンには、ジョージ4世は離宮を残している。

他方で、イギリス王ジョージ4世の祖父母や両親にゆかりのキュー・ガーデンズ(ロンドン郊外)は荒れさせてしまったらしい。そもそもイギリス王室の城館や庭園が多すぎて、管理の手が届かなかったのかもしれないけどね。

また彼は西暦1821年に当時はイギリスの統治下にあったアイルランドの首都ダブリンを訪れている。長くイギリスによるアイルランド統治の中心だったダブリン城には、彼の為の玉座が残っているんだ。

更には、スコッチ・ウィスキーについても彼は大きな功績を残している。彼が即位した頃、イギリスではウィスキーに高い税金がかけられていた。そんなわけで多くのウィスキーは密造されていたんだ。ところが、国王は密造されたウィスキーのある銘柄が大好きだった。国王が密造酒を飲むなんてまずいよね。というわけで、ウィスキーにかけられた税金が引き下げられ、ウィスキー製造は闇の世界から公の世界に出てきたんだそうな。

未来のイギリス王ジョージ7世

ところで、西暦2013年に生まれたイギリスの王子様がジョージと名づけられたよね。この赤ちゃんはエリザベス女王の曾孫、チャールズ皇太子とダイアナ妃の孫にあたる。イギリスの王位は、エリザベス女王からチャールズ皇太子、ウィリアム王子、そしてジョージ王子に継承されることになるんだろうね。そしてイギリスの王となれば、ジョージ7世と呼ばれるんだろうね。

ちなみに、イギリス王として最初のジョージさん、つまりジョージ1世は西暦1714年に即位している。ハノーヴァー選帝侯でもあった彼は、ドイツ生まれでドイツ育ちだったこともあり、英語が苦手だったそうな。ちなみに、エリザベス女王の父君がジョージ6世なんだけど、あの映画「英国王のスピーチ」はそのジョージ6世の物語なんだそうな。ジョージ6世はイギリス生まれのイギリス育ちだから、英語が苦手だったわけじゃないだろうけどね。

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