ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1893年、ギリシャのペロポネソス半島に、コリントス運河が完成した。


コリントス運河の橋の上で
(ペロポネソス半島、ギリシャ)

ギリシャのペロポネス半島にあるコリントス運河の上で アテネから陸路で約80km。ペロポネソス半島への入り口のあたりに、右の画像に写っている橋がある。見たところ何の変哲もない橋の歩道。

ところが、端から見下ろすと迫力があるんだ。というのも、この橋、ペロポネソス半島をギリシャ本土から切り離したコリントス運河の上に架かっているんだ。

ペロポネソス半島を切り離したコリントス運河

ギリシャのペロポネス半島にあるコリントス運河 右の画像が橋の上から見たコリントス運河の様子。運河の長さは6,343メートル、幅は24.6メートル、水深は 8メートルなんだそうな。ちなみに、運河の水面から地表までの高さは最大で79メートルだと資料にある。

この運河を開削するという構想は古代からあった。例えば紀元前7世紀末頃のコリントの僭主ペリアンダーも運河の開削を計画していた。

西暦67年には古代ローマ帝国の暴君ネロが運河開削を宣言し、起工式まで行ったと伝えられている。しかし、数ヵ月後には皇帝ネロは亡くなり、運河の開削工事も中断されてしまったんだ。

それから1800年余りの歳月が流れた西暦1882年、フランスの会社がコリントス運河の開削工事を始めたんだ。古代からの夢が復活したわけだね。ところが、その会社が西暦1889年に倒産した。夢は再び消えてしまったのか。

ところが、ギリシャの人々は運河の改作作業を続けたんだ。そして、西暦1893年8月6日、ペロポネス半島とギリシャ本土とを切り離すコリントス運河が完成したんだ。

このコリントス運河はペロポネソス半島の東西にあるエーゲ海とアドリア海とを結んでいるんだけど、ペロポネソス半島を迂回するというのは古代より負担になっていたんだね。それを回避するために船を車に載せてコリントス地峡を越えていたこともあったらしいよ。

戦略上の要衝 コリントス運河の橋

このコリントス運河の両側を結ぶ唯一の橋は、このあたりの戦略上の要衝になっている。その橋を巡ってある作戦が遂行されたことがあるんだ。その名も「ハンニバル作戦」。

ギリシャのペロポネス半島にあるコリントス運河 第二次世界大戦初期の西暦1941年4月26日、グライダーに分譲したドイツ軍空挺部隊がコリントに降下した。

連合国側のオーストラリア兵とギリシャ兵がコリントス運河にかかる橋を守ってはいたが、やがてドイツ軍部隊が橋と周囲の地域を制圧した。

他方、北から進出してきたドイツ軍部隊に圧迫されていたイギリス軍部隊は南のペロポネス半島方面に向かって退却中だった。

しかし、唯一の退路である橋がドイツ軍空挺部隊に押さえられた結果、イギリス軍部隊は退路を失い、1万2千名もの兵士たちがドイツ軍の捕虜となったんだそうな。

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