ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦1910年、ポルトガルの共和主義革命により、ブラガンサ家による王政が廃止された。


ポルトガルで共和主義革命

西暦1908年、ポルトガル首都リスボンでブラガンサ家の王ドン・カルロスと王太子ドン・ルイスが暗殺された。でも、これは序章に過ぎなかった。

ポルトガル王家ゆかりのケルス宮殿

それから2年後の西暦1910年、ポルトガルで革命を目指す共和主義的な軍人たちによる反乱が起こった。でも、軍の中で革命に加わろうとした部隊は一部だけだった。(上の画像はポルトガル王家ゆかりのケルス宮殿。)

ポルトガルにおける共和制の成立

革命の2日目、反乱軍と政府軍とのにらみ合いが続いた。でも、反乱に参加する軍人は増えず、革命は尻すぼみに終わるかと思われた。しかし、反乱軍の側に立った海軍の艦船が政府軍に砲撃を加え始めたらしい。

そして革命の3日目、リスボンに駐在していたドイツ大使が反乱軍の陣営に向かった。リスボン在留のドイツ人たちをドイツの船に非難させる為に一時的な停戦を要請するためだった。

ところが、反乱軍の陣営に向かうドイツ大使の馬車を見た市民たちは、それを政府側の降伏の使者だと考え、街に出て革命成就の歓声をあげたらしい。それを見た政府軍の兵士たちも部隊を離れて人々の歓声に加わったんだそうな。

ポルトガル王家の夏の離宮となっていたシントラの王宮

結局、革命軍が勝利を得て、共和制が樹立され、臨時政府が組織された。リスボンの市民たちの勘違いが革命を成就させたと言えなくもないか。(上の画像はポルトガル王家が夏の離宮としていたシントラの王宮。西暦1584年に日本の天正遣欧少年使節がここに立ち寄っている。)

イギリスに亡命したポルトガル王マヌエル2世

反乱軍に加わった海軍の艦船による砲撃を受け、ブラガンサ家のポルトガル王マヌエル2世は首都リスボンを出たらしい。王家のヨットに乗り込んだマヌエル2世が向かったのは、イベリア半島南端にあるイギリス領のジブラルタルだった。

クルーズ船から眺めたジブラルタルの岩

上の画像は地中海に浮かぶクルーズ船の上から眺めたジブラルタルの岩の様子。かつて西暦711年には、北アフリカのイスラム教徒がジブラルタルに上陸し、西ゴート王国を滅ぼしたわけだね。

大航海時代のポルトガルの最盛期の王マヌエル1世の名を受け継いだマヌエル2世(当時21歳)は、ジブラルタルからイギリスに逃れた。国王が国民を見捨てたとみなされ、ポルトガルの王政は廃止された。他方のマヌエル2世はその後もイギリスの首都ロンドンの近くで暮らし、西暦1932年に43歳で亡くなっている。お子さんはいなかったらしい。

その後のポルトガル

革命によって共和主義的な政府が組織されたポルトガルでは、その後も王党派による反乱があった。共和主義者たちの組織の分裂もあった。クーデターもあった。暗殺もあった。インフレもあった。労働争議も続いた。そんな不安定な状況の中で成立したのが軍事政権だった。

西暦1928年、ポルトガルの軍事政権の大蔵大臣となったのが、大学教授だったサラザールだった。サラザールは財政再建を進め、他方で公共事業によって失業者を減らし、やがてポルトガルの救世主とも呼ばれるようになったらしい。

西暦1932年、サラザールが首相となった。西暦1936年にはサラザールは首相・大蔵大臣・外務大臣・陸軍大臣・海軍大臣などを兼務し、独裁者としての体制を確立した。その年にスペインで内乱が始まり、サラザールは後のスペインの独裁者フランコ総統を支援している。

西暦1968年、昼寝をしていたポルトガルの独裁者サラザールがハンモックから落ち、意識不明の重体となり、政治の世界から引退して療養生活に入った。その2年後にサラザールは亡くなったけれども、ポルトガルの独裁制は続いていた。

ポルトガルの首都リスボンにある旧サラザール橋(今は4月25日橋)

そんなポルトガルの独裁を終わらせたのが、西暦1974年4月25日に起きたカーネーション革命だった。その無血革命を記念して、かつてはサラザール橋と呼ばれていたテージョ川に架かる橋(上の画像)の名前が4月25日橋と改められたんだそうな。

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