ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦1943年、イタリアのミラノにあるダヴィンチの「最後の晩餐」が連合国軍の空爆による被害を免れた。


空爆によって激しい損害を被ったミラノのスフォルツェスコ城

戦争によって多くの歴史ある建造物が破壊されてきたよね。第二次世界大戦においては日本のいくつもの城が空爆によって破壊されている。例えば、名古屋城、大垣城、そして原爆によって広島城も。

同様の歴史的建造物の空爆による破壊はイタリアでも激しかったらしい。ドイツや日本と同盟して第二次世界大戦に突入したイタリアなんだけど、西暦1943年7月には連合国軍がシシリア島を占領した。次は本土上陸作戦という時点で、その前に激しい空爆が行われた。その目標の一つがイタリア北部の中心都市ミラノだった。

イタリア北部の中心都市ミラノのスフォルツェスコ城

西暦1943年8月に激しい空爆を受けたミラノでは、市内の建物の半数近くが破壊されたらしい。その一つが上の画像にあるスフォルツェスコ城(上の画像)だった。14世紀後半にミラノ大公家ヴィスコンティ家の居城として築城され、15世紀半ばからはスフォルツァ家の居城とされたこの歴史ある城の損壊は激しく、現存するのは元々のお城の3割にも満たないらしい。

被害を免れたミラノのドゥオモ(大聖堂)

他方で同じく下の画像にあるミラノのドゥオモ(大聖堂)は空爆の被害を免れたらしい。

イタリア北部の中心都市ミラノのドゥオモ(大聖堂)

連合国軍の配慮によって爆撃を免れたなんて話もあるんだけど、どうだろうか ・・・ 。だって、この西暦1943年8月のミラノ空爆に限らず、連合国軍の空爆によって多くの歴史的建造物や文化財、そして最も重要なことだけど無数の市民の生命が失われている。それなのにドゥオモ(大聖堂)だけ特別な配慮なんてするんだろうか。

爆撃されたサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

上に書いたスフォルツェスコ城と同様に爆撃によって手ひどい損害を被ったのが、下の画像にあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会だった。

イタリア北部の中心都市ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

13世紀末に建設が始まり15世紀後半に完成したこの教会は、ミラノ大公家スフォルツァ家の墓所にもなっていたらしい。

破壊を免れたダヴィンチの「最後の晩餐」

上に書いたサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の修道院の食堂の壁には、極めて重要な人類の文化的遺産の一つ、すなわちダヴィンチの「最後の晩餐」(下の画像)があった。

イタリア北部の中心都市ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にあるダヴィンチの「最後の晩餐」

ミラノ空爆の際、この名作のある食堂の屋根も、そして壁のかなりの部分も破壊されてしまったらしい。ところが、この「最後の晩餐」のある壁は破壊を免れたんだそうな。修道士たちはこの名画を守る為に壁の前に土嚢を積み上げていたらしいけど、それでも爆弾の直撃を受ければひとたまりもなかっただろうね。

このミラの空爆の翌月、つまり西暦1943年9月、連合国軍はイタリア本土上陸作戦を開始した。サレルノパエストゥム付近から上陸し、やがてナポリを占領している。

そのナポリにおいては激しい戦闘があったんだそうな。その結果、14世紀前半に建てられたサンタ・キアーラ修道院などの破壊があったらしい。ダヴィンチの「最後の晩餐」は破壊を免れたとはいえ、失われたものはとてつもなく多いよね。

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