ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1956年、ハリウッド女優グレース・ケリーがモナコ公国のレーニエ大公と結婚した。


ハリウッド女優 グレース・ケリー

モナコ公国で発行された切手に描かれた大公妃グレース・ケリーの横顔 西暦1929年、アメリカのフィラデルフィアで、建設業を営む大金持ちの父とかつてモデルをしていた美貌の母との間に女の子が生まれ、グレース・パトリシア・ケリーと名づけられた。

その女の子が西暦1949年に芸能界にデビューし、その2年後にはハリウッドにデビューして、それから次々と大物俳優たちと共演したんだ。(噂も色々とあったらしいけど。)

右の画像はやがてモナコ公国で発行された切手に描かれたグレース・ケリーの横顔なんだ。

グレース・ケリーとモナコ公国のレーニエ大公との結婚

そして西暦1954年、ハリウッド女優グレース・ケリーがカンヌ映画祭の際にフランスの映画雑誌の取材の中でモナコ公国のレーニエ大公と出会った。その翌年のクリスマスには、アメリカのフィラデルフィアにあるグレース・ケリーの実家をレーニエ大公が訪問したらしい。

グレース・ケリーとレーニエ大公との結婚の際にモナコ公国で発行されたお二人を描いた切手

そして半年後にはハリウッド女優グレース・ケリーとモナコ公国のレーニエ大公が結婚したというわけだ。お二人の結婚式は、モナコ大聖堂で執り行われたらしい。(ちなみに、上の二つの画像にある切手は、モナコ大公宮殿の向かいにある土産物屋さんで買った私のお宝。)

モナコ大聖堂に眠る大公妃グレース・ケリー

やがて3人のお子さんをさずかったモナコ大公妃グレース・ケリーだったけど、西暦1982年に交通事故で亡くなってしまった。

モナコ公国の大聖堂に眠る大公妃グレース・ケリーの墓碑

上の画像はモナコ大聖堂の祭壇の奥に眠る大公妃グレース・ケリーの墓碑なんだけど、鮮やかな花が捧げられているよね。モナコ大公家(グリマルディ家)にゆかりの人が捧げたのか、モナコ公国を訪れたかつてのファンが捧げたのか。

モナコ公国の大聖堂に眠るモナコ大公と大公妃

下の画像は、大公妃グレース・ケリーのお墓があるモナコ大聖堂の外観なんだ。

モナコ公国の大聖堂

グレース・ケリーがこの大聖堂に葬られて23年後の西暦2005年、ご主人のモナコ大公レーニエ3世が亡くなった。そして今はこのモナコ大聖堂でお二人ともに眠っているわけだね。ちなみに、お二人の息子さんのアルベール2世が今のモナコ大公となっている。

ちなみに、モナコ大公アルベール2世は、レ・ボー侯爵でもある。レ・ボーというのは、フランス南部プロヴァンス地方にあるレ・ボー・ド・プロヴァンスという岩山の上の街なんだ。元々はボー一族が支配者だったんだけど、15世紀前半に断絶してしまった。その後、1642年からモナコ大公家がレ・ボー侯爵の位を相続している。

西暦2014年12月、モナコ大公アルベール2世の大公妃が双子を出産した。一人は女の子、一人は男の子なんだそうな。その男の子ジャック公子が大公位の継承権者第1位となり、女の子ガブリエラ公女が第2位となるらしい。二人ともグレース・ケリーのお孫さんということだよね。

幻のヒッチコック映画

グレース・ケリーがモナコ大公妃となって数年後の西暦1960年、彼女に映画出演を持ちかけた人物がいた。それがヒッチコックだった。でも、モナコ大公とモナコ国民の反対により、大公妃グレース・ケリーの映画出演は実現されることはなく、幻のヒッチコック映画となっちゃったんだそうな。もし大公妃グレース・ケリー主演のヒッチコック映画が撮影されていたならば、世界的に大ヒットしただろうね。

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