ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1990年、黒海東岸にあるコーカサスの国グルジアが、旧ソ連から独立した。


グルジアが旧ソ連から独立

西暦1989年、グルジア最高ソビエトは、ロシア革命後の1921年に行われたグルジアのソ連への加盟が無効であることを宣言した。

その翌年の西暦1990年、グルジアの国会(下の画像が国会議事堂)が、グルジアの独立を宣言した。

グルジアの首都トビリシにある国会議事堂

グルジアにおける民族紛争の勃発
オセチア・アブハチアとの紛争

ソ連からのグルジアの独立は、グルジア民族の自由の回復だと考えられた。ところが、それはグルジア国内に住む少数民族への圧迫だとも考えられたんだ。

例えば、ソ連への加盟を無効だと宣言した西暦1989年には、グルジア政府は少数民族にグルジア語の使用を強制している。対して、オセチア人とグルジア人が衝突したこともあるんだ。

また、グルジアがソ連からの独立を宣言した西暦1990年には、グルジア西部にあるアブハチア自治共和国もグルジアからの独立を宣言した。その結果、分離独立を求めるアブハチアとグルジア政府の紛争が始まってしまった。

その後、現在ではグルジア国内の内戦・紛争の炎は静まっているように見える。でも、紛争地域を脱出してきた人々は、いまだに故郷に戻ることができないでいるんだ。そんな難民たちが暮らしている建物の一つが、下の画像にあるイベリア・ホテル。かつてはグルジアの首都トビリシでも、最高級のホテルだったらしい。

グルジアの首都トビリシにあるイベリア・ホテルでは、多くの難民が暮らしている

グルジアとロシアとの戦争・対立
南オセチア・アブハチア、カスピ海の原油パイプライン

そんな微妙で複雑な情勢にあったグルジアとロシアが戦いを交えたのが2008年08月のことだった。グルジアは同国からの独立を主張する南オセチアとアブハチアを押さえ込もうとし、対してロシアは南オセチアとアブハチアのグルジアからの独立を支援する。そんな対立がついに両国に戦火を交えさせるに至ったわけだ。

幸いにこの2008年のグルジアとロシアとの戦争は短い期間で停戦に至った。しかし、ロシアは今もグルジアの一部を占領しているらしい。しかも、南オセチアとアブハチアをめぐる争いは収まってはいない。加えて、カスピ海のアゼルバイジャンなどで生産される原油のパイプラインがグルジア国内を走っていることもあり、グルジアをめぐってはアメリカも微妙な立場にある。そんなこんなでグルジアの平和を取り巻く状況は今も錯綜しているんだ。

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