ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1506年、イタリアのローマにおいて、サン・ピエトロ大聖堂の建設工事が始まった。


聖ペテロの墓の上の天蓋
サン・ピエトロ大聖堂(ローマ、イタリア)

西暦1506年、イタリアのローマにおいて当時の教皇ユリウス2世の命により、現在のヴァティカンで見ることの出来るサン・ピエトロ大聖堂の建設工事が始まった。以後、このサン・ピエトロ大聖堂の建設に携わったローマ教皇の数は18人を数えるんだそうな。ずいぶんと多くのローマ教皇が関係しているんだけど、それだけ長い時間と多くのお金が費やされた大聖堂ということなんだろうね。

また、このサン・ピエトロ大聖堂の建設を担当した建築家の数は、12名にもなるんだそうな。その名の一部を挙げるならば、着工時の責任者となっていたドナート・ブラマンテ、ラファエロ、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ、アントニオ・ダ・サンガッロ、ミケランジェロ、ジャコモ・デッラ・ポルタ、ドメニコ・フォンターナ...。

サン・タンジェロ城砦付近から見たサン・ピエトロ大聖堂(ローマ、イタリア)

上の画像は、サンタンジェロ城付近から見るサン・ピエトロ大聖堂の様子なんだ。大聖堂の上にあるミケランジェロのクーポラは、ローマ教会の礎を築き、古代ローマ帝国皇帝ネロのキリスト教徒迫害によって亡くなったサン・ピエトロ(つまり、聖ペテロ)の王冠なんだそうな。また、サン・ピエトロ大聖堂自体が聖ペテロの墓の天蓋なんだって。

西暦1506年創設のスイス衛兵隊
(今もローマのサン・ピエトロ大聖堂を警護)

サン・ピエトロ大聖堂の建設工事が始まった西暦1506年は、当時のローマ教皇ユリウス2世によってスイス衛兵隊が創設された年でもあるんだって。それから500年近く、彼らはローマ教皇の身辺を警護し、またサン・ピエトロ大聖堂を含むヴァティカンの警備を担当している。

サン・ピエトロ大聖堂のスイス衛兵(ローマ、イタリア) ちなみに右の画像にあるスイス衛兵の制服の色(青、黄、赤)は、レオ10世クレメンス7世などのローマ教皇を生んだメディチ家の色なんだそうな。

そのメディチ家出身の教皇クレメンス7世の時代、皇帝カール5世の軍がイタリアの都ローマを劫略したことがあった。

ローマ教皇クレメンス7世が通路を通ってサンタンジェロ城に逃げる間、スイス衛兵たちは皇帝の軍を食い止めて戦い、ついに全滅してしまった。それが西暦1527年5月6日なんだけど、ヴァティカンのスイス衛兵隊では今でも5月6日を記念日として式典を行っている。

現代のスイス衛兵隊

そんな歴史あるヴァティカンのスイス衛兵隊は、現在は定員 110人なんだそうな。毎年、スイスからは 30-40人ほどの新兵がやってくる。新兵の条件は、年齢が19歳から30歳、スイスの国民で且つローマ・カトリックを信じていること。軍事教育を受けた品行方正な独身の男性であることも必要らしい。

しかも、ローマ教皇を警護するスイス衛兵隊に入隊するのは、4倍の難関なんだそうな。しかし、その給料は約18万円ほど。決して高くはないし、国民所得の高いスイスではむしろ低い方かもしれない。それでも優秀なスイスの衛兵がヴァティカンで働くのは、名誉の為なんだそうな。そんな新兵の入隊式も、毎年5月6日に行われる。

ローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部は芸術作品の宝庫

そんなスイス衛兵の警備する入り口を通り、イタリアの最大の観光地ローマの中でも特に多くの人々が集まるサン・ピエトロ大聖堂の中(下の画像)へ足を踏み入れる。

ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂の内部(ローマ、イタリア)

多くのローマ教皇と芸術家・建築家が関与してきたサン・ピエトロ大聖堂自体が芸術作品なんだけど、その内部も芸術作品の宝庫だといって良いよね。ミケランジェロのピエタベルニーニのブロンズの天蓋、4世紀頃の作と考えられる聖ペテロのブロンズ像、...数え上げたらキリがない。つまりは、サン・ピエトロ大聖堂の魅力も書き尽くせないと言えるんだろうな。

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