法王レオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)西暦1475年、イタリアはトスカナ地方の街フィレンツェの名門メディチ家の大ロレンツォの次男ジョヴァンニ・デ・メディチ誕生。彼は西暦1492年に16歳で枢機卿になっている。西暦1494年、フランス王シャルル8世のイタリア侵入に際して、フィレンツェのメディチ家が追放された。ジョヴァンニは、後に法王クレメンス7世となった従弟のジューリオと共に、ドイツ、オランダ、フランスなどを転々とした。ジョヴァンニの首には、二千フロリンの懸賞がかけられていた。 メディチ家の復活
1512年夏、ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿が、スペイン軍部隊と共にボローニャを攻略した。(左の画像はボローニャのマッジョーレ広場。)更にジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿はスペイン軍と共に南進し、西暦1494年以来メディチ家が追放されていたフィレンツェを攻略し、メディチ家を復帰させた。
西暦1513年、ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿が、ローマで法王レオ10世となった。(右の画像はラファエロが描いた法王レオ10世。)西暦1517年、ルターが95か条の論題を掲示した。西暦1520年、ルターは法王レオ10世の破門状を破り捨てた。 西暦1521年、法王レオ10世死去。 ラファエロと法王レオ10世ところで、レオ10世が法王に即位した時、ラファエロは既に教皇庁で働き始めていた。法王レオ10世はラファエロに制作を続けさせたんだ。法王レオ10世がラファエロに与えたテーマは、「レオ」を名乗った法王たちの業績を描くこと。例えば、ボルゴの火災を鎮めたレオ4世、カール大帝を皇帝にしたレオ3世など。ヴァティカン博物館・美術館の中にある火災の間ではレオ10世の依頼によるラファエロの作品を見ることが出来るよ。
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