地中海の十字路マルタ島とオスマン・トルコオスマン・トルコにとって、スレイマン大帝に統治された16世紀は躍進の世紀だった。1522年には当時の聖ヨハネ騎士団の本拠地ロードス島を攻略し、1526年にはモハチの戦いにおいてハンガリー王を戦死せしめ、失敗には終わったがウィーンをも攻囲している。東地中海をほぼ制圧し、アルジェリア海賊を傘下に入れたオスマン・トルコは、更に地中海西部をも手中に収めようとしていた。
オスマン・トルコの地中海制覇にたちはだかったのが、マルタ島を本拠とする聖ヨハネ騎士団。ガレー船を駆ってイスラム教徒を襲う騎士たち。彼らの本拠マルタ島は、地中海の東西を扼する要所にあった。(右の略図を参照。)
オスマン・トルコ軍の攻撃と聖エルモ砦の陥落
西暦1565年5月18日、マルタ島の沖合いにオスマン・トルコの大艦隊が姿を見せた。やがて上陸したオスマン・トルコの大軍は、聖ヨハネ騎士団の城砦群を包囲。対する聖ヨハネ騎士団は、シベラス半島(後の首都ヴァレッタ)の先端にある聖エルモ砦とその対岸にある聖アンジェロ要塞を中心とするスリー・シティーズの城砦群に立て籠もった。(右の略図を参照。) 当初は攻撃の的を絞らなかったトルコ軍も、やがて敵中に孤立していた聖エルモ城砦に攻撃を集中し始めた。そして6月23日、守る聖ヨハネ騎士団の守備軍が全滅した聖エルモ砦にオスマン・トルコの旗が掲げられた。 ひたすら守り抜く聖ヨハネ騎士団の騎士たち聖エルモ城砦を攻略したオスマン・トルコ軍の攻撃の矛先は、聖アンジェロ砦を中心とするスリー・シティーズの城砦群に集中された。次第に兵力を損耗していく聖ヨハネ騎士団。しかし、かつてロードス島の攻防にも参加した経験を持つ騎士団長ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレッテの鉄の意志が、守る騎士たちを鼓舞し続けたんだ。(下の画像は、聖ヨハネ騎士団の聖アンジェロ城砦。) |
撤退するオスマン・トルコ軍と
オスマン・トルコの大軍が上陸して4ヶ月近くになる西暦1565年9月7日、シシリア副王が1万人の援軍を率いて上陸。その翌日、既に疲弊の極に達しつつあったオスマン・トルコ軍が撤退を始めた。 |
| 次のページ |
関連リンク旅行記 「マルタ・ゴゾ入門」(古代巨石神殿、首都ヴァレッタ、ブルー・グロットなど) 旅行記 「聖ヨハネ騎士団の島 マルタ」 (ヴァレッタとスリー・シティーズ、イムディナ、ラバトなど) |
|||
姉妹サイト ヨーロッパ三昧 (旅・食・花)イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ギリシャ・トルコ・エジプトなどヨーロッパと香港の旅行記 25カ国42編を中心とするサイト「ヨーロッパ三昧」。 20カ国100店のレストランを紹介するコーナーや、ロンドンに住んでいた頃のガーデニング日記、日本国内を旅する四季の日本のコーナーなどもあります。 「ヨーロッパ三昧」のトップ・ページのURLは、 http://www.europe-z.com/ です。 |
姉妹サイト イタリア三昧+マルタイタリアの旅行記5編とマルタの旅行記2編から構成される旅行記集です。画像の数も増え、大きさ・画質も改善して、本館「ヨーロッパ三昧」から独立しました。 「イタリア三昧+マルタ」のトップ・ページのURLは、 http://www.italy-malta-z.com/ です。 |