ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1566年、地中海に浮かぶマルタ島の新しい首都ヴァレッタの建設が、聖ヨハネ騎士団の手によって始められた。


マルタの新しい首都ヴァレッタ建設のためのミサ

マルタ島の首都ヴァレッタとスリー・シティーズの略図 西暦1566年3月28日の朝、地中海に浮かぶマルタ島の北岸にあるシベラス半島でミサが行われた。

マルタ島を領有する聖ヨハネ騎士団が始めようとしている新しい城塞都市の建設工事のためのミサだった。

後にこの城塞都市は、当時の聖ヨハネ騎士団の騎士団長ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレッテにちなんでヴァレッタと名づけられ、このマルタ島の首都となった。

グランド・ハーバーの入り口を扼する要塞都市ヴァレッタ

騎士団長ヴァレッテが新しい要塞都市の建設に踏み切ったのは、その前年、西暦1565年のオスマン・トルコによる攻囲(グレート・シージ)の経験による。彼は、オスマン・トルコが再び攻めてくるに違いないと考えていたんだ。

前年の戦いの経験から、彼が重視したのは、港の中に突き出たシベラス半島を守るために、半島の中ほどにあるシベラス山を敵に渡さないということだった。その小高い山をオスマン・トルコに渡してしまえば、敵の砲撃の威力が増してしまうと考えたわけだ。(下の画像は対岸から見たシベラス半島の様子。)

地中海に浮かぶマルタ島の首都ヴァレッタのあるシベラス半島の様子

マルタ島の首都ヴァレッタを守る城壁と深い壕 聖ヨハネ騎士団は、シベラス半島全体の守りを固め、海からの攻撃にも陸からの攻撃にも耐えることの出来る要塞都市を作った。

要所には砦を築き、丈夫な城壁で固め、更に陸側には深い壕を設けたんだ。

右の画像にあるのは、ヴァレッタの街の入り口(バス・ターミナル近く)で見ることの出来る深い壕の様子。

ナポレオンによるマルタ占領

騎士団長ヴァレッテの心配とは裏腹に、オスマン・トルコによる二度目の攻撃は無かったんだ。他方、聖ヨハネ騎士団の騎士たちは、ガレー船団に乗って信仰の敵イスラム教徒の船を襲い続けた。

しかし、時の流れは騎士たちの信仰の戦士としての心を蝕んで行ったのだろうか。彼らは次第に柔弱に陥ったようにも思われる。

そして西暦1798年、強固な要塞都市に守られた聖ヨハネ騎士団は、ナポレオンの艦隊にマルタ島を明け渡してしまった。「人は城、人は石垣」かどうかはわからないけれども、少なくとも守る人のいない城は、城ではありえなかったんだね。

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