ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1709年、ドイツ東部でマイセン陶器の生産方法が確立された。


とあるドイツの街の城の中の秘密

マイセンの街を見下ろすアルプレヒト城(旧東ドイツ) ドイツ東部のとある街を見下ろすアルプレヒト城(右の画像)。西暦1471年に築かれた城だ。

その数百年後、この城の中では重大な秘密が守られていたんだ。

マイセン磁器の生産風景(旧東ドイツ) その秘密というのが、右の画像。つまり、マイセン磁器の生産方法だった。

近世ヨーロッパの王侯貴族たちは、遠くアジアから持ち込まれていた中国の磁器を珍重していた。ところが、17世紀の後半、中国を支配下に置いた清朝が鎖国政策を採ったために、中国の磁器を手に入れることが難しくなってしまった。

そこで当時のザクセン選帝侯がヨハン・フリードリヒ・ベドガーに命じ、右上の画像にあるアルプレヒト城内で磁器の生産方法を研究させた。

それから苦節数年、西暦1709年にベドガーは磁器の生産方法を確立した。翌年にはアルプレヒト城内にザクセン公が磁器の工場を作らせた。そこで生産された磁器は、ヨーロッパ各地で高く売れたんだ。そんな磁器の生産方法の秘密は門外不出とされ、アルプレヒト城に守られていたわけだ。

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マイセン磁器の目印は二本の青い剣

マイセン磁器のマークとなったザクセン王家の紋章(旧東ドイツ) マイセンの磁器の目印と言えば、二本の青い剣だよね。右の画像はマイセン磁器の二本の青い剣のマークの変遷を示している。(ドイツ東部の街マイセンにある磁器工房にて撮影。但し、今の工房はアルプレヒト城内にあるわけではないよ。)

この二本の青い剣のマークなんだけど、元々はザクセン王家の紋章だったんだ。それがマイセン磁器のマークになったのは、西暦1722年のことだった。

ヨーロッパのお金持ちの憧れの的となったマイセンの磁器。しかし、18世紀の後半には、イギリスのウェッジウッドが成長してきたんだ。

そして1945年、ドイツの敗戦に伴い、ソ連がマイセンの工場を接収しちゃった。しかし、1949年のドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の成立の際、マイセンの工場はソ連から返還され、国立マイセン磁器工場となったんだ。



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(ベルリン、ポツダム、ライプツィヒ、マイセン、ドレスデン)




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