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西暦1712年、ピョートル大帝の命により、ロシアの新しい首都サンクト・ペテルブルクがネヴァ川の河口に完成した。
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北方戦争とロシアのピョートル大帝
西暦1682年にロシア皇帝となったピョートル1世(大帝)なんだけど、当時の彼は10歳の少年。もちろん、皇帝としての実権も何もあろうはずがない。
その後、西暦1694年から親政を始めたピョートル1世(大帝)は、西暦1700年から北方の雄スウェーデンとの戦いを始めた。緒戦の不利な情勢をくつがえしたピョートル1世は、西暦1703年にスウェーデン軍を破り、ネヴァ川の河口の土地を確保した。そのネヴァ川の河口に建設されたのが、下の画像にあるペトロ・パブロフスク要塞だったんだ。
ロシアの首都サンクト・ペテルブルク完成
その後もペトロ・パブロフスク要塞を中心に、湿地帯を埋め立て、計画的な都市建設が続けられた。そして西暦1712年、帝政ロシアの首都サンクト・ペテルブルクが完成したわけだ。
その後、新しい首都サンクト・ペテルブルクには、冬宮を中心とするエルミタージュ宮殿(今は美術館)、聖イサク寺院などが建設され、約200年間にわたってロシア帝国の首都として繁栄したわけだ。
ロシア革命とサンクト・ペテルブルク
もう一度、エルミタージュ宮殿(美術館)が写っている上の画像を見てくれるかな。その左側に移っているのが、巡洋艦オーロラ号(復元)なんだけど、その艦砲が西暦1917年10月25日に号砲を発射した。そしてロシア革命が始まった。
ロシア革命によって、ロシアを中心とするソ連が成立し、ロマノフ王家による帝政は倒されてしまった。翌年の西暦1918年には、200年間にわたってサンクト・ペテルブルクが保ってきた首都としての地位も、モスクワへと移っていった。
更には西暦1924年、ロシア革命の英雄レーニンの死に伴い、サンクト・ペテルブルクの名もレニングラードと改められてしまった。
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