ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦64年、古代ローマ皇帝ネロによりキリスト教徒の迫害が始まり、多くのキリスト教徒がカッパドキアなどの僻地に逃れた。


古代ローマ帝国におけるキリスト教徒の迫害

西暦64年、古代ローマ帝国の首都ローマ(もちろん、今でもイタリアの首都)で大火が起こり、それを契機としてローマ皇帝ネロによるキリスト教徒の迫害が始まった。

エルミタージュ美術館にあるエル・グレコの「使徒ペテロとパウロ」(サンクト・ペテルブルグ、ロシア) 使徒ペテロとパウロが殉教したのも、皇帝ネロによる迫害によるものと伝えられているんだ。

右の画像は、画家エル・グレコが描いた「使徒ペテロとパウロ」。ロシアの古都サンクト・ペテルブルグにあるエルミタージュ美術館で見ることが出来るよ。

やがて西暦68年には軍の反乱が起こり、皇帝ネロは自殺を遂げる。しかし、古代ローマ帝国におけるキリスト教徒の迫害は終わらなかった。(古代ローマ帝国でキリスト教の信仰が容認されたのは、西暦313年のミラノ勅令。)

カッパドキア(現トルコ)などに隠れ住むキリスト教徒

古代ローマ帝国における迫害を逃れるため、キリスト教徒は安住の地に移り住んだんだ。その一つが、現在はトルコ領となっている小アジア(アナトリア)の山中にあるカッパドキアだった。

ゼルヴェにある「妖精の煙突」(カッパドキア、トルコ) キリスト教徒は、カッパドキアにある奇岩の中に穿った穴を教会や住居にして暮らし始めたんだ。

右の画像はカッパドキアのゼルヴェにある「妖精の煙突」と呼ばれる奇岩。

その中には、かつてキリスト教徒が教会や住居としていた穴が残されている。




ビザンティン帝国における聖画禁止令を逃れた人々

上に書いたように、西暦313年のミラノ勅令によって、古代ローマ帝国内でのキリスト教の信仰が容認された結果、キリスト教徒が僻地に隠れ住む必要はなくなったんだ。

ところが、西暦730年、ビザンティン帝国の皇帝レオン3世によって聖画禁止令が発布された。その結果、聖像や聖画を守ろうとした人々は、再びカッパドキアなどの僻地に隠れ住むようになったらしい。(下の画像は、「妖精の煙突」の立ち並ぶカッパドキアのゼルヴェの冬景色。)

ゼルヴェにある「妖精の煙突」(カッパドキア、トルコ)

十字軍から逃れた人々

西暦12-13世紀、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回しようとする多くの騎士・兵士そして一般の人々が東方へと向かった。いわゆる十字軍だね。

ところが、イスラム教徒と戦うことを使命とした十字軍なんだけど、ローマ・カトリック以外のキリスト教徒に対しても圧迫を加えたんだ。

その結果、十字軍の圧迫を逃れようとする人々が、またもやカッパドキアなどの僻地へ隠れ住むこととなった。(下の画像は、カッパドキアにあるギョレメの雪景色。ここにも岩の中の修道院や教会などが残されている。)

ギョレメの雪景色(カッパドキア、トルコ)

カッパドキアから消えたキリスト教徒

西暦20世紀半ば、トルコ共和国とギリシャとが条約を結んだ。その結果、トルコ国内に住むキリスト教徒と、ギリシャ国内に住むイスラム教徒とを、相互に移住させることが取り決められた。そして、カッパドキアに住み続けていたキリスト教徒の姿が消えてしまったんだ。

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旅行記 「冬景色のトルコ」
(エフェソス、パムッカレ、コンヤ、
カッパドキア、アンカラ、イスタンブール)




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