古代ローマ帝国皇帝ネロのキリスト教徒迫害と聖ペテロ古今東西の暴君の筆頭として名前が挙げられるのは、古代ローマ帝国の皇帝ネロだろうね。初代皇帝アウグストゥスの曾孫を母とし、シェイクスピアの「アンソニーとクレオパトラ」で名高いマルクス・アントニウスの孫にもあたるネロは、西暦54年に16歳で皇帝となっている。即位後しばらくは家庭教師でもあった哲学者セネカなどの補佐を得て、善政を施していたらしい。でも、やがて母、妻、セネカなどを死に追いやっている。そして西暦64年にローマの大火が起きると、その犯人としてキリスト教徒の迫害を始めたんだ。その迫害がネロの悪名を高めたんだね。
そして西暦67年、キリストの最初の弟子と言われ、初代ローマ教皇ともされる聖ペテロが皇帝ネロの迫害によって殉教した。逆さ磔にされたとも言われている。上の画像はヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にある聖ペテロの像なんだ。
ローマのコロッセオ(円形闘技場)と皇帝ネロ他方で、キリスト教徒迫害のきっかけになったローマの大火によって、街は灰燼に帰したらしい。でも、皇帝ネロは焼け跡に巨大な宮殿を建てたんだ。その宮殿には広大な庭園があり、その庭園には人工の池も造られた。後にその池を利用して建てられたのが、今のローマのフォロ・ロマーノの一画にあるコロッセオ(円形闘技場)なんだそうな。
上の画像がそのコロッセオ(円形闘技場)なんだけど、かつてはこの中に水を貯え、模擬海戦をすることもできたそうな。皇帝ネロの頃の宮殿や庭園はいったいどれほどの規模だったのかね。
迫害を逃れて隠れ住んだキリスト教徒皇帝ネロによる迫害を逃れ、各地に隠れ住んだキリスト教徒も少なくはなかった。そんな人々が隠れ住んだ場所の一つが、今はトルコ領となっている小アジア(アナトリア)の山中のカッパドキアだった。下の画像はカッパドキアのゼルヴェの雪景色なんだけど、奇岩の中に穿った穴を教会や住居として昔のキリスト教徒たちが隠れ住んだとか。
ちなみに、このトルコのカッパドキア一帯には、後々にも人々が隠れ住んだことがあるらしい。例えば、西暦730年にビザンティン帝国の皇帝レオン3世が聖画禁止令を発布したんだけど、人々は聖像や聖画を守ってここに隠れたんだそうな。
キリスト教徒の迫害と皇帝コンスタンティヌスによるミラノ勅令西暦68年、ガリアのルグドゥヌム(今のフランス東部の街リヨン)で反乱が起こった。一旦は鎮圧されたもののやがてローマの元老院までも皇帝に敵対し、結局はネロは自殺するに至っている。でも、キリスト教徒に対する迫害は続いたんだ。ネロ以後の古代ローマ帝国の皇帝の中では、デキウスやディオクレティアヌスなどがキリスト教徒の迫害で名を残しているらしいよ。フランスの首都パリの郊外にあるサン・ドニ大聖堂に名前を残す聖ドニ(サン・ドニ)が殉教したのもその頃だね。 そして西暦312年、マクセンティウスに対するミルヴィオ橋の戦いで勝利を得たコンスタンティヌスが古代ローマ帝国の皇帝としての地位を確立した。その戦いの前には空に十字架が浮かんだとされているんだけど、勝利を感謝する皇帝コンスタンティヌスは翌年にはミラノ勅令を発してキリスト教の信仰を容認したとされている。皇帝ネロから始まる古代ローマ帝国でのキリスト教徒の迫害はここに終わるわけだ。
上の画像は、ミルヴィオ橋の戦いの前に皇帝コンスタンティヌスの陣営の空に浮かんだ十字架を描いたフレスコ画なんだ。ヴァティカン美術館・博物館の中のコンスタンティヌスの間で見ることが出来るよ。
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