ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦80年、イエス・キリストの生涯と教えを描いた「マタイによる福音書」が著された。


新約聖書の冒頭にある「マタイによる福音書」と聖マタイ

ピーター、ポール、アンドリュー、ジェームズ、ジョン、フィリップ、バーソロミュー、マシュー、トマス ・・・ などなどは欧米人の男性によくある名前だね。もちろん、フランス語風、イタリア語風、スペイン語風など言語によって多少は異なるけど、基本的には大きな違いはないよね。

ピーター(ピエトロ)といえばイタリアの首都ローマにあるサン・ピエトロ大聖堂、ポール(パウロ)といえばイギリスの首都ロンドンにあるセント・ポール大聖堂、アンドリュー(アンドレ)といえばスコットランドの守護聖人 ・・・ などが頭に浮かぶかな。

実は冒頭に挙げた名前はどれもキリスト教あるいは聖書と深い関係のある名前なんだ。女性にも同様にキリスト教・聖書に関係する名前が多いよね。(ちなみに、他にも欧米人の名前としてはアーサー王物語にゆかりの名前や古代からの歴史を持つ部族独自の名前も多いかな。)

そんな名前の中で、このページの主役となるのはマシューだ。マシューというのは英語風の読みを書いたんだけど、むしろマタイと書いた方が馴染みがあるかな。新約聖書の冒頭にある「マタイによる福音書」を著した(かもしれない)人物だよね。但し、マタイはイエス・キリストの弟子にして聖人とされているから、聖マタイと書くべきかな。

イタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノのドゥオモ(大聖堂)にある聖マタイのモザイク画

そして上の画像は、「マタイによる福音書」の著者とも言われる聖マタイを描いたモザイク画なんだけど、イタリア南部サレルノドゥオモ(大聖堂)の中で見ることが出来るんだ。上の画像の人物が左手に持っているのは「マタイによる福音書」なんだろうね。

イエス・キリストはアブラハムやダヴィデの子孫だと説くマタイ

私は子供の頃に郷里の街にあるキリスト教の教会が運営する幼稚園に通っていた。が、実家の宗教は臨済宗であり、私はキリスト教徒ではない。が、ヨーロッパの歴史や芸術を理解する為にキリスト教について知りたいと考え、新約聖書を開いたことが何度かあるんだ。

その新約聖書の冒頭に置かれているのが、聖マタイが著したとされる「マタイによる福音書」だった。その「マタイによる福音書」の冒頭には、イエス・キリストの家系について書いてある。即ち、アブラハムから始まり、14代目の子孫が名高いダヴィデ王、15代目は同じく有名なソロモン王、そして41代目がイエス・キリストとなる。

フランス南部コート・ダジュールの街ニースにあるシャガール美術館で見たシャガールの作品「アブラハムと3人の天使」

上の画像はフランス南部コート・ダジュールの街ニースにあるシャガール美術館で見た画家シャガールの絵「アブラハムと3人の天使」なんだけど、子供のないアブラハムを3人の天使が訪れ、やがて息子が誕生すると告げる場面なんだそうな。やがて生まれたのがイサクなんだけど、アブラハムもイサクもイエス・キリストの遠い祖先にあたるわけだね。

つまり、「マタイによる福音書」はイエス・キリストがユダヤ人の王となるべき一族の子孫にあたり、まさにメシアあるいは救い主(キリスト)たるべき正当性を持つ人物であることから説き始めているわけだね。

新約聖書の四つの福音書の一つが「マタイによる福音書」

そんな「マタイによる福音書」が著された(あるいは成立した)のは、西暦80年頃とされている。が、実は諸説いろいろある。もっと早いという説もあれば、もっと遅いという学者もいる。いずれにせよ、イエス・キリストが十字架で処刑されて数十年後、1世紀の後半ということみたいだね。

但し、新約聖書に収録されている四つの福音書の中で最も古いのは、西暦65年頃に成立したとされる「マルコによる福音書」なんだそうな。その次が「マタイ」、ほぼ同時期に「ルカ」、そして最後が「ヨハネによる福音書」だと言われている。

何故にいくつもの福音書が著され、しかも新約聖書に四つも収録されているのかはよくわからない。更には福音書の内容も少しづつ異なっているんだ。例えば、「ルカによる福音書」では、イエス・キリストが生まれた時、天使たちから救い主の誕生を聞いた羊飼いたちが生まれたばかりのイエス・キリストが飼い葉桶の中に眠っているのを見に行っている。

ところが、「マタイによる福音書」によれば、イエス・キリストの誕生を知って贈り物を持って訪ねたのは東方三博士(占星術の学者)とされている。しかも、ユダヤの王たるべき赤ん坊が生まれたことを知ったヘロデ王は多くの赤ん坊を皆殺しにしようとする。その為に赤ん坊のイエス・キリストと聖母マリア、その夫のヨセフはエジプトへと逃れるわけだ。他の福音書にはそんなことは書いてないんだけどね。

イタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下のクリプトで見たキリストの生涯を描いた天井画「エジプトへの脱出」

上の画像はサレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下のクリプトの天井にあるキリストの生涯を描いたフレスコ画の一つで「エジプトへの脱出」の場面を描いたものなんだそうな。どことなく「西遊記」の三蔵法師と沙悟浄に見えなくもないか ・・・ 。(失礼しましたッ)

サレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下にある聖マタイのお墓

そんな新約聖書の冒頭に置かれた「マタイによる福音書」を著した(かもしれない ・・・ 異説はあるけどね)聖マタイなんだけど、エチオピアで布教活動をしている時に殉教したとも言われている。が、どういう経緯かはわからないけど、その遺物が4世紀にイタリアに持ち込まれたとか。

その聖マタイの遺物を安置する為に悪名高いノルマン人ロベール・ギスカールが西暦1076年に征服した街サレルノに建立したのが、サレルノのドゥオモ(大聖堂)だった。その地下のクリプトでは聖マタイのお墓(下の画像)を見ることも出来るんだ。

イタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノのドゥオモ(大聖堂)の地下のクリプトにある聖マタイのお墓

ついでながら、このサレルノのドゥオモ(大聖堂)は西暦1085年に完成している。その聖別を行い、聖マタイに献堂したのは、ローマ教皇グレゴリウス7世だった。教皇はカノッサの屈辱のリベンジに燃える皇帝ヘインリヒ4世によってローマに攻められ、ロベール・ギスカールによって救出されてサレルノに来ていた。そしてサレルノの街で亡くなり、そのドゥオモ(大聖堂)の中にお墓もあるんだそうな。

ちょいと横道に逸れてしまった。このページの主役は、聖マタイと彼が著したかもしれない「マタイによる福音書」だったね。ヨーロッパの歴史や芸術を理解する為にも、もっと聖書を勉強しなきゃ。新約聖書の冒頭にある「マタイによる福音書」で挫折していちゃいかんよね。

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