ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦138年、古代ローマ皇帝アントニウス・ピウス(あるいはアントニヌス・ピウス)が即位した。


ローマのフォロ・ロマーノに残る
アントニウスとファウスティーナの神殿

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノに見るアントニウスとファウスティーナの神殿 イタリアの首都ローマを旅するならば、古代ローマ帝国の栄華を残すフォロ・ロマーノを見て見たいよね。

そのフォロ・ロマーノの一画に立つのがアントニウスとファウスティーナの神殿(右の画像)なんだ。中世にはキリスト教の教会に改築されちゃったから、古代ローマの神殿にしては奇妙なスタイルになっているんだけどね。

さて、このページの主役は右上の画像に写る神殿に祀られているアントニウス。正確に書くならば、古代ローマ皇帝アントニウス・ピウス(五賢帝の一人)なんだ。

古代ローマ皇帝 アントニウス・ピウス

西暦86年9月19日、執政官を務めたこともあるティトゥス・アウレリウス・フルラスに一人の息子が生まれた。その子供が後の皇帝アントニウス・ピウス(あるいはアントニヌス・ピウス)なんだ。

古代ローマ帝国の名門に生まれたアントニウス・ピウスは、当時の皇帝ハドリアヌスの許で重用されていた。そして西暦138年の初め、皇帝ハドリアヌスの養子が亡くなった。後継者を失った皇帝ハドリアヌスは、かねてより重用していたアントニウス・ピウス(既に50歳を越えていたけど)を養子に迎え、後継者としたんだ。

その年の夏、皇帝ハドリアヌスが亡くなった。そして、先帝の遺体をローマの霊廟(今のサンタンジェロ城あるいは聖天使城)に葬ったアントニウス・ピウスが古代ローマ帝国の皇帝に即位したんだ。

イギリスの首都ロンドンの大英博物館にあるアントニウス・ピウス(アントニヌス・ピウス)の彫像

上の画像は、古代ローマ皇帝アントニウス・ピウスの彫像。イギリスの首都ロンドン大英博物館で見ることができる。

アントニウス・ピウス帝の治世

五賢帝の4人目とされる皇帝アントニウス・ピウスの統治下で、古代ローマ帝国は比較的に平和な時代を過ごすことができたんだ。

ところが西暦141年、皇妃ファウスティナが亡くなった。元老院は皇妃に神格を与え、皇帝は彼女のために神殿を建てた。(それが冒頭に紹介したフォロ・ロマーノの一画に残る神殿だよ。)

続く西暦142年、ブリテン(現在のイギリス)で反乱が起こった。ブリテンにおける古代ローマ帝国の支配を守るために、アントニウス・ピウス帝はハドリアヌスの城壁の北側にもう一つの城壁を建設させた。

西暦145年、アントニウス・ピウス帝の娘ファウスティーナ(母と同名)は、マルクス・アウレリウスと結婚。マルクス・アウレリウスは既に皇帝の養子となっており、この結婚によって皇帝の後継者としての地位を更に固めたわけだ。

西暦161年3月、古代ローマ皇帝アントニウス・ピウス死去。後継者マルクス・アウレリウスが皇帝(五賢帝の最後の人物)となり、平和な帝国を継承した。その金庫には莫大な資金が蓄積されていたらしい。

古代ローマ帝国の元老院は、先帝アントニウス・ピウスに神格を与え、先に亡くなっていたファウスティーナと共にフォロ・ロマーノの神殿に祀られることとなったんだ。

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