全世界回復者 アウレリアヌス帝の即位西暦270年、ゴート族の大軍に打ち勝ったクラウディウス帝が疫病のために亡くなった。その跡を継いで古代ローマ帝国の皇帝となったのは、やがて全世界回復者と称されたアウレリアヌス帝だった。しかし、彼が即位した頃のイタリアは、アルプスを越えて侵入してきたゲルマン系アレマン族によって、混乱に陥っていた。アウレリアヌス帝はアレマン族を撃ち破り、彼らをドナウ川の北に追い払ったんだ。 更にアウレリアヌス帝は、侵入する蛮族に対する守りを固めるために、古代ローマの街を城壁で取り囲んだ。その城壁は一周 19kmにも及んだらしい。(下の画像は、ローマ市内のボルゲーゼ公園近くに見るアウレリアヌスの城壁のピンチアーナ門。)
アウレリアヌス帝による古代ローマ帝国の回復ローマの街の守りを固める一方で、アウレリアヌス帝は外敵に奪われていた古代ローマ帝国の領土を回復する戦いにも出かけていったんだ。アウレリアヌス帝の最初の敵は、エジプトにまで侵入するなど、古代ローマ帝国の東部を侵していたパルミュラ王国だった。西暦272年、アウレリアヌス帝は女王ゼノビア支配下のパルミュラ王国を征服している。 続いての敵は、ガリアに自立して独自の権力を樹立していたポストゥムスのガリア帝国だった。アウレリアヌス帝は、西暦274年にガリア帝国を滅亡させている。 その他にもアウレリアヌス帝は様々な業績を残している。帝国の行政機構を立て直し、軍団の強化にも努めていた。他方でローマの街に太陽神ソルの神殿を建立し、人心の掌握にも努めている。更に質の悪化していた貨幣の改革も行っている。 アウレリアヌス帝がトラキアにて殺害されるでも、全世界回復者と称され、危機に陥っていた古代ローマ帝国を回復させたアウレリアヌス帝も、無敵だったわけじゃない。即位の年には属州ダキア(現在のルーマニア)の防衛を放棄し、軍団を撤退させている。その結果、ダキアの土地は蛮族の蹂躙するところとなったんだ。そして西暦275年、アウレリアヌス帝はトラキア(現在のブルガリア)において、部下の将兵たちによって殺害されたんだ。(下の画像は、アウレリアヌスが殺害されたトラキアの風景。遠くに見えるのは、雪を頂くバルカンの山々。)
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