十字架に支えられたコンスタンティヌス帝の勝利西暦312年のある日、戦いに赴こうとするコンスタンティヌス帝は、空中に十字架が浮かぶのを見たんだそうな。はたしてキリストの御加護があったのかどうか、西暦312年10月28日、コンスタンティヌス帝はライバルのマクセンティウスを、ミルウィウス橋の戦いで撃ち破ることが出来たんだ。その翌年の西暦313年、古代ローマ帝国内でのキリスト教信仰を認めたミラノ勅令が発されている。 フォロ・ロマーノに残るコンスタンティヌス帝の凱旋門そして西暦315年、戦いの勝利を記念して、コンスタンティヌス帝の凱旋門が建てられた。下の画像は現在もイタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノに残るコンスタンティヌス帝の凱旋門の様子。
未完成に終わったマクセンティウス帝のバシリカ勝者がいれば、その影に敗者がいるのは世の習いだよね。凱旋門を築いたコンスタンティヌス帝と対照的だったのが敗れたマクセンティウス帝だった。破れる前のマクセンティウス帝は、下の画像の右に写っている丘の上にバシリカを建設中だった。ところが、彼が敗れた結果、マクセンティウス帝のバシリカは未完成に終わってしまったんだ。
また、敗戦前のマクセンティウス帝は、幼くして亡くなった息子の為に「ロムルスの神殿」と呼ばれている廟を建設中だった。でも、それも未完成に終わったらしい。 最後に勝ち残ったコンスタンティヌス帝マクセンティウス帝を撃ち破った時点でコンスタンティヌス帝がローマ帝国の単独の支配者というわけではなかった。彼はリキニウス帝と権力を分かち合っていたに過ぎなかった。西暦320年、かつてはミラノ勅令によってキリスト教を容認したリキニウスが、キリスト教の弾圧に乗り出し、コンスタンティヌス帝との対立を深めていった。 西暦324年、リキニウスとの二度(7月、9月)に渡る決戦に打ち勝ち、コンスタンティヌス帝が古代ローマ帝国の単独での支配者となった。 ヴァティカン博物館のコンスタンティヌスの間ヴァティカン博物館の中には、コンスタンティヌスの間と呼ばれる部屋がある。そこでは、ラファエロの弟子達によって描かれたコンスタンティヌス帝の物語を描いた絵を見ることが出来るんだ。例えば、宙に浮かんだ十字架、ミルヴィオ橋の戦い、それからコンスタンティヌスによる教皇へのローマ献上。もっとも最後の話は歴史的な事実ではないみたいだけどね。
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