ラグーン周辺の島々に移り住んだ人々世の中にマリン・スポーツの好きな人々は多いよね。その熱が高じて、海辺に移り住む人々もいる。でも、全ての人々がマリン・スポーツ大好きというわけではない。そんな一般の人々にとっては、海辺に住むことは必ずしも便利というわけでもないよね。海辺に住めば、仕事にも制約がある。夏はニオイがひどいかもしれない。冬は寒いかもしれない。ときには洪水に襲われる。
ヴェネツィアって、実際にそんなところなんだ。多くの観光客は集まるけど、住みごごちが良いというわけではない。でも、5世紀の前半、多くの人々がヴェネツィア(右の画像を参照)周辺にあるラグーンの島々に移り住んだんだ。もちろん、彼らにはそうする理由があったわけだ。 西ローマ帝国末期の混乱とヴェネツィアの誕生5世紀に入ってから、西ローマ帝国は著しく衰退し、東西ゴート族がイタリアに侵入し、西暦410年には西ゴート族がローマを劫略するまでに至っていた。混乱を逃れた人々の中には、現在のヴェネツィアを取り巻くラグーンの島々に移り住むものもいた。その傾向を強めたのが、フン族によるイタリアへの侵入だった。アッティラの支配下にあったフン族は、西暦451年に西進してガリアに侵入した。しかし、西ローマ帝国と西ゴート族との連合軍に敗れ、その西進は阻まれたわけだ。そして西暦452年、アッティラのフン族はイタリアへ矛先を変えた。その結果、多くの人々が難民となり、ラグーン周辺の島々に移住したんだ。 西暦598年にはロンバルド族がイタリアに侵入し、更に多くの人々がヴェネツィア周辺の島々に移り住んだ。今のヴェネツィア(下の略図を参照)は、打ち続く混乱を逃れて移住した人々が築いたものなんだね。 |
その後のヴェネツィア西暦697年、ビザンティン帝国がヴェネツィアを治める総督を任命した。西暦727年、ヴェネツィアの人々が初めて自らのドージェを選出した。西暦810年、シャルルマーニュ(カール大帝)の息子ピピンがイタリアに侵入。ヴェネツィアを包囲すること5ヶ月間に及んだけど、海を砦として守りを固めるヴェネツィアを攻略することは出来なかったんだ。不便な島の暮らしを続ける甲斐があったわけだね。(下の画像は、朝もやにけむる晩秋のヴェネチアの風景。)
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。
|