古代のパリ、ケルト系パリシイ族の都ルテティアフランスの首都パリと言えば、皆さんの頭に浮かぶのは、世界をリードするファッション ?? 一時はヨーロッパを征服する勢いを示した皇帝ナポレオン ?? ギロチンでヨーロッパを震撼させたフランス革命 ??もちろん、どれも間違いじゃないよね。でも、パリには、もっと昔の、つまり古代あるいは先史時代にまで遡る歴史もあるんだ。(下の画像は夕暮れに沈みつつあるセーヌ川とシテ島の風景。)
先史時代とケルト系パリシイ族のパリ紀元前4千年から3千年頃、つまり新石器時代のパリにも人間は住み着いていたんだそうな。彼らは、パリの周辺で牧畜や農業を営んでいた。しかも、セーヌ川の水運を利用して、各地と交易も行っていたらしい。今でもセーヌ川付近からは中央ヨーロッパ産と思われる石の斧が出土するらしい。その後、ガリア(今のフランス)には、ケルト系の人々が広がっていった。現在のパリの中心にあるシテ島には、紀元前3世紀半ばにケルト系のパリシイ族が定住を始めたらしい。彼らはシテ島にオッピドム(防塁)を築き、やがてそこはパリシイ族の都ルテティアとなったんだ。 古代ローマ帝国によるルテティア(パリ)征服その後、ガリア(今のフランス)には、今のイタリアの首都ローマから発した古代ローマ帝国が進出してきた。ルテティア(今のパリ)付近に住んでいたケルト系パリシイ族の人々は、古代ローマ帝国とも友好的な関係にあったらしい。ところが、ガリアのケルト人たちが古代ローマ帝国に対して反旗を翻したんだ。その指導者はガリアの英雄ウェルキンゲトリクス。パリシイ族の人々もウェルキンゲトリクスと共に古代ローマ帝国との戦いを始めた。 しかし、古代ローマ帝国の英雄カエサルの部将(正確には総督代理らしい)ラビエヌスは、大軍をもってルテティアに攻撃を仕掛けた。ケルトの戦士たちの戦いもむなしく、やがてルテティアの街(今のパリ)は古代ローマ帝国の軍団によって占領されてしまった。それが紀元前52年のこと。 廃墟となったケルト系パリシイ族の都ルテティア。しかし、古代ローマ人はシテ島を中心に新しい道路や建物を築いていったわけだ。(下の画像は、現在のフランスの首都パリにあるクリュニー美術館の中にある古代ローマ時代の遺跡。ちなみに、この美術館のお宝は中世のタペストリー「貴婦人と一角獣」。)
古代ローマ帝国時代のパリ、それから・・・古代ローマ帝国は、セーヌ川に浮かぶシテ島を中心として橋をかけ、いくつもの街道を整備した。もちろん、セーヌ川の流れは変わらない。そんな街道やセーヌ川の交差するパリは、交易の中心として発展していったわけだ。そんなパリを舞台に、様々な歴史のドラマが展開されていくわけだね。(下の画像は朝日に輝くセーヌ川。パリを観光するならば、早起きして見に行ってね。)
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