デロス同盟の資金で建設された
紀元前450年、古代アテネの政治家ペリクレスが、ペルシアと戦う為に集められたデロス同盟の資金を流用し、パルテノン神殿の建設を始めた。 |
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破壊されたパルテノン神殿と彫刻西暦5世紀、アテネのパルテノン神殿がキリスト教の教会とされてしまった。おかげで、神殿の破壊が進んでしまった。西暦1687年、アテネを支配していたオスマン・トルコはパルテノン神殿を火薬庫として使っていた。ところが、戦いを交えていたヴェネツィア軍の砲弾がパルテノン神殿を直撃し、火薬が大爆発を起こして神殿は大きな被害を受けてしまった。 西暦19世紀初頭、英国大使としてオスマン・トルコに赴任したエルギン卿が、スルタンの許可を得てパルテノン神殿の彫刻群を運び出した。 ところが西暦1816年、エルギン卿は資金不足に陥り、パルテノン神殿の彫刻群をイギリス政府に売却せざるを得なくなった。でも、イギリス政府が払った金額はエルギン卿が負担した額の半分以下だったらしいよ。しまり屋のイギリスらしい話だね。 下の画像は、アテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿の現在の様子。いや、「現在の」というのはウソだな。写っている私が若くてさほど太っていないもんね。
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