ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




紀元前 450年、デロス同盟の資金を流用した古代アテネが、パルテノン神殿の建設を始めた。


デロス同盟の資金で建設された
古代アテネのパルテノン神殿

紀元前450年、古代アテネの政治家ペリクレスが、ペルシアと戦う為に集められたデロス同盟の資金を流用し、パルテノン神殿の建設を始めた。

パルテノン神殿は、アテネの守護女神アテナ・パルテノスを祀る神殿だった。そこには黄金と象牙で出来た女神像も安置されていたんだ。今では失われてしまったけどね。

神殿の破風は、女神アテネの誕生の場面や、ギリシャ神話の神々の戦いの様子を描いた彫刻で飾られていたんだ。あるいは、4年ごとに開催されたパン・アテナイ祭の行列の様子を描いた彫刻もあったらしい。

但し、現在のパルテノン神殿では、そんな彫刻を見ることは難しいんだ。というのも、パルテノン神殿にあった彫刻の多くがロンドンにある大英博物館に保管されているからね。(下の画像は大英博物館で見ることの出来るパルテノン神殿の彫刻の一部。)

ロンドンの大英博物館に見る古代アテネのパルテノン神殿の彫刻

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破壊されたパルテノン神殿と彫刻

西暦5世紀、アテネのパルテノン神殿がキリスト教の教会とされてしまった。おかげで、神殿の破壊が進んでしまった。

西暦1687年、アテネを支配していたオスマン・トルコはパルテノン神殿を火薬庫として使っていた。ところが、戦いを交えていたヴェネツィア軍の砲弾がパルテノン神殿を直撃し、火薬が大爆発を起こして神殿は大きな被害を受けてしまった。

西暦19世紀初頭、英国大使としてオスマン・トルコに赴任したエルギン卿が、スルタンの許可を得てパルテノン神殿の彫刻群を運び出した。

ところが西暦1816年、エルギン卿は資金不足に陥り、パルテノン神殿の彫刻群をイギリス政府に売却せざるを得なくなった。でも、イギリス政府が払った金額はエルギン卿が負担した額の半分以下だったらしいよ。しまり屋のイギリスらしい話だね。

下の画像は、アテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿の現在の様子。いや、「現在の」というのはウソだな。写っている私が若くてさほど太っていないもんね。

現在のアテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿(ギリシャ)

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「ロンドンの風景(イギリス)」



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