全盛期の古代アテネの指導者ペリクレス紀元前480年のサラミスの海戦や翌年のプラテーアの戦いで、アテネを中心とする古代ギリシャはペルシャを撃ち破った。その結果、古代ギリシャの盟主となったアテネは、全盛時代を迎えようとしていたわけだ。
西暦462年、ペリクレスが全盛期の古代アテネの指導者となった。右の画像は、ロンドンの大英博物館にあるペリクレスの像なんだ。ペリクレスは、アテネとピレウスの港を結ぶ城壁を築き、ペルシャ戦争で破壊されたアクロポリスを再建し、更にアテネで民主的な改革を行って、古代アテネの黄金時代を創り出したと言われている。 おごるアテネは久しからずでもね、おごるアテネは久しからず。ペルシャに対抗するための艦隊を建設するためにギリシャ諸都市が拠出した資金がアテネのアクロポリス再建に使われたこと、アテネが対外的には帝国主義的な政策を採ったことなどから、ギリシャ諸都市の間にはアテネに対する反発が強まっていったんだ。そして、西暦431年には、スパルタとアテネとの間にペロポネソス戦争が始まった。更にアテネには不運が続く。指導者であるペリクレスが、開戦の2年後に病死してしまった。 西暦415年にはアテネがシチリアに派兵を行ったが、失敗に終わった。更に、スパルタはペルシアの支援を得て、戦いを有利に進める体制を整えた。 そして西暦405年、アイゴスポタモイの海戦でアテネ艦隊がスパルタ艦隊に敗れた。明けて西暦404年、アテネは無条件降伏を余儀なくされたわけだ。
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