ペルシャ戦争とロードス紀元前5世紀のペルシャ戦争といえば、ギリシャの自由を守るためにギリシャ系諸都市が団結してペルシャと戦ったというイメージがあるよね。ところが現実の国際政治は古代においても冷徹なもの。男じゃなくても、前田利家じゃなくても、負ける戦はしちゃいけないんだ。というわけで、古代ギリシャ系諸都市の中にも強そうなペルシャ帝国の側に立って戦った都市があった。その代表格がロードス。古代ペルシャ帝国の圧力に屈したロードスは、ペルシャの側に立って参戦。ところが、紀元前480年のサラミスの海戦では、ペルシャと共に惨敗を喫してしまった。 デロス同盟に参加その結果としてペルシャの圧力から解放された(あるいは風見鶏的にギリシャの優位を信じたのか)ロードスは、紀元前478年にアテネを中心とするデロス同盟に参加し、ペルシャ帝国と干戈を交えることにしたんだ。そして、ペルシャ戦争の結果はギリシャ諸都市の勝利。勝ち馬の尻に乗ったロードスは、持ち前の海軍力をもって全盛期を迎えたんだ。 リンドスにあるアテナ女神の神殿じゃあ、そのロードスとはどんなところかといえば、現在トルコ領となっている小アジア(アナトリア)のすぐ南にあるギリシャ領の島。人口は9万人しかいないんだけど、年間120万人以上もの観光客が訪れる観光地でもある。そのロードスには、古代においても国際的な観光地があったんだ。それがリンドス(ロードス島南部)にあるアテナ女神の神殿(下の画像)。ギリシャの英雄ヘラクレス、トロイ戦争の美女ヘレナ、そしてアレクサンダー大王までも、このリンドスにやってきてアテナ女神の神殿にお参りしたらしいよ。
太陽神ヘリオスの巨像古代ロードス観光のもう一つの目玉は、ロードスの港に立っていたと言われる太陽神ヘリオスの巨像。古代ギリシャの数学者フィロンによる「世界の七不思議」の一つに選ばれたというから、さぞかし立派なものだったんだろうね。但し、その太陽神ヘリオスの巨像は紀元前3世紀の大地震で倒壊しちゃった。その巨像があった場所(ロードスの港の突堤)には、今では可愛い鹿の像(下の画像)があるだけ。
彫刻の傑作を排出したロードス古代のロードスが誇れるものがもう一つ。それは彫刻の傑作を排出したということかな。特に紀元前2世紀頃には、数々の彫刻の傑作を生み出している。
例えば、パリのルーブル美術館にあるサモトラケのニケや、イタリアのヴァティカンにあるラオコーンも、オリジナルはロードスで作られたといわれているんだ。そして右の画像にあるのは、ロードスのアフロディテ(ヴィーナス)。このオリジナルはロードスにある考古学博物館(かつては聖ヨハネ騎士団の病院)で見ることが出来るよ。 中世には聖ヨハネ騎士団の本拠地中世のロードス島は、聖ヨハネ騎士団の本拠地にもなっていた。騎士団がマルタ島に本拠地を設ける前のことだね。その時代のことは、後で詳しく書くことにしようかな。
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