ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




紀元前1800年頃、エーゲ海に浮かぶクレタ島のミノア文明が最盛期に達し、クノッソス宮殿が築かれた。


クレタ島のクノッソス宮殿

ラビリンスと言えば、日本語では迷宮と訳されるよね。その迷宮ラビリンスの元祖はエーゲ海に浮かぶクレタ島クノッソス宮殿(その遺跡が下の画像)にあったとされている、伝説では。牡牛に恋心を抱いた王妃から生まれたミノタウルスは、人間の身体に牛の頭を持っていた。そんなミノタウルスが幽閉されたのが、クノッソス宮殿の迷宮ラビリンスだったとか。

クレタ島のクノッソス宮殿の遺跡(ギリシャ)

ちなみに、古代のクレタ島では、双頭の斧のことをラブリュスと呼んだ。エーゲ海に栄えたミノア文明において聖なるものとされた双頭の斧 ラブリュスは、クノッソス宮殿の一画に祀られていた。そもそもラビリンスとは、双頭の斧の家のことだったらしい。

ミノア文明の中心 クノッソス宮殿

エーゲ海に浮かぶクレタ島に人が住み始めたのは、紀元前7000年頃のこととされている。その後、紀元前3000年頃には地中海貿易によって繁栄し始め、このクレタ島を中心とするミノア文明が発達し始めた。そのミノア文明の中心となっていたのが、このクノッソス宮殿だった。

クレタ島のクノッソス宮殿の遺跡(ギリシャ)

そんなクノッソス宮殿が築かれたのは、紀元前1800年頃と考えられている。但し、例えば紀元前2000年頃とする異説などもあるらしい。また、宮殿は何度か修復・改築の手が加えられ、あるいは取り壊しの上で再建されたこともあったらしい。

クノッソス宮殿の遺跡とイラクリオンの考古学博物館

上の画像にもあるけど、クノッソス宮殿の遺跡ではミノア文明を彩った壁画などを見ることが出来る。但し、基本的に遺跡で見ることが出来るのはレプリカなんだそうな。遺跡からの出土品などのオリジナルは、イラクリオンの考古学博物館に展示されているんだ。

クレタ島のイラクリオンの考古学博物館で見た蛇の女神官(ギリシャ)

この博物館の展示品からは、かつてのクノッソス宮殿における宮廷での暮らしや祭祀の様子を垣間見ることができる。例えば上の画像は蛇の女神官と呼ばれる陶器なんだけど、胸を露出していることが目につくよね。この陶器のみならず、壁画などを見ても、当時の貴族の女性たちは胸を露出することが一般的だったとも言われている。

ミノア文明とサントリーニ島の火山の大噴火

エーゲ海において花開いたミノア文明なんだけど、その繁栄にも終わりが待っていた。紀元前1500年頃、クレタ島から100kmあまりの距離にあるサントリーニ島で火山が大爆発を起こした。その結果、クレタ島のミノア文明は甚大な被害を蒙ったらしい。(下の画像はサントリーニ島の火山の大爆発の名残りをとどめるカルデラの海。)

サントリーニ島の火山の噴火の名残りをとどめるカルデラ(ギリシャ)

更に追い討ちをかけるように、ギリシャ本土からアカイア人がクレタ島に侵攻してきた。かくして栄華を誇ったミノア文明も滅亡を免れることは出来なかったらしい。

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