フランス北部のヴァイキングとノルマンディー公国9世紀にセーヌ川を遡ってパリを襲撃したヴァイキング(ノルマン人)たちは、10世紀の初頭にはフランス北部に定着し始めていた。そのヴァイキングたちをイタリアの首都ローマを中心とするカトリックのキリスト教に改宗させようとしていたのが、ルーアンの大司教ヴィトーだった。彼は当時の西フランク王シャルル単純王にある提案をした。フランス北部に定住し始めたノルマン人をして、ヴァイキングに対する防波堤にせよというわけだ。 その提案を受け入れた西フランク王シャルル単純王と、フランス北部のヴァイキング(ノルマン人)の首領ロロとの間で、西暦911年にサン・クレール・シュール・エプト条約が成立した。ここにノルマンディー公国が成立したわけだ。(下の画像は現在のノルマンディー地方の風景。)
余談ながら、ノルマンディー公となったロロというヴァイキングの首領については、殆どわかっていないらしい。ある資料では、ロロはデンマークの貴族だったとされている。しかし、ノルウェーの出身だったとする記録もあるらしい。 |
拡大するノルマンディー公国ノルマンディー公となったヴァイキングの首領ロロは、キリスト教に改宗し、ロベールという洗礼名を授かった。以後、彼と彼の子孫たちは、フランス北部において勢力を拡大していったんだ。西暦923年には、バイユー、ル・マン、セーなどの土地をノルマンディー公国に組み入れた。更に西暦933年にはコタンタン、アヴランシュなどを支配下に入れた。 西暦1035年、ロベール悪魔公の跡を継いでノルマンディー公国の支配者となったのは、ギョーム庶子公と呼ばれる人物だった。中世ヨーロッパに興味を持っている人ならば、誰でも知っている人物だろうな。え、知らないの ?? では、別の呼び名を書いておくかな。ギョーム庶子公、別名をノルマンディー公ウィリアム、あるいはイングランド王ウィリアム征服王。西暦1066年にイングランドを征服した人物。
上の画像は、ノルマンディー地方の街カンの現在の様子。画像の左半分に写っているのは、ノルマンディー公ウィリアムが築いたカン城の城壁なんだ。
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