ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1294年、イタリアの古都フィレンツェの羊毛業組合がドゥオモ(大聖堂)の設計を彫刻家アルノルフォ・ディ・カンビオに依頼した。


フィレンツェにある花の聖母マリア大聖堂(ドゥオモ)

イタリアの初期ルネサンスを代表する建物でもあり、古都フィレンツェでも最も人気の高い観光スポットとなっているのが、花の聖母マリア大聖堂(ドゥオモ)だよね。その様子が下の画像なんだ。

イタリアの古都フィレンツェのドゥオモ(大聖堂)

フィレンツェのシンボルともいえるこの大聖堂(ドゥオモ)のクーポラが完成し、建設工事が完了したのは西暦1434年のことだった。(細かく言えば、ファサードの完成は西暦1887年のことらしいけどね。)

大聖堂(ドゥオモ)の完成までには多くの人々が関与し、設計変更も何度も行われている。鐘楼の建築に携わったジョットであり、クーポラを完成させたブルネレスキだったりね。

でも、この建物の最初の設計を行ったのは、彫刻家としても活躍していたアルノルフォ・ディ・カンビオだった。フィレンツェの羊毛業組合が彼に設計を依頼したのは西暦1294年のこと。その設計に基づいて建設工事が始まったのは西暦1296年のことだったそうな。

修行時代のアルノルフォ・ディ・カンビオ

フィレンツェを、いやイタリアの初期ルネサンスを代表する建築物を設計したアルノルフォ・ディ・カンビオなんだけど、父親が誰なのか、どこで生まれたのかも定かでないらしい。ただ、生まれたのは西暦1240年頃と推測されている。

イタリアの古都フィレンツェのライバルだったシエナのドゥオモ(大聖堂)

そんな彼は20歳の頃には著名な彫刻家のニコラ・ピサーノの下で助手として働いていたらしい。フィレンツェのライバルだったシエナの街のドゥオモ(上の画像)で制作をしていた時期があったとされている。

また彼はニコラ・ピサーノがピサの洗礼堂ピサの斜塔と同じドゥオモ広場にある)で説教檀を制作する際にも、弟子として手伝っている。その後、一緒に働いたニコラの息子ジョヴァンニ・ピサーノはピサのドゥオモ(大聖堂)で説教檀を制作している。

ローマで制作していたアルノルフォ・ディ・カンビオ

その後、師匠の下から独り立ちをしたアルノルフォ・ディ・カンビオは、ローマで活動していたらしい。当時のナポリの支配者だったシャルル・ダンジューの彫像なども制作したんだそうな。

イタリアの首都ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある聖ペテロ像

上の画像は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある聖ペテロ像なんだけど、この像もアルノルフォ・ディ・カンビオの作品だとする説もある。但し、最近はこの像は4世紀頃の名も無いシリアの彫刻家の作品だと言われているらしいけどね。

フィレンツェに戻ってきたアルノルフォ・ディ・カンビオ

そんなアルノルフォ・ディ・カンビオがフィレンツェに戻ってきたのは西暦1294年のことだった。フィレンツェの花の聖母マリア大聖堂(ドゥオモ)の設計の依頼を受けた年だよね。

イタリアの古都フィレンツェにあるサンタ・クロ−チェ教会の中庭とパッツィ家の礼拝堂

その頃の彼はフィレンツェにあるサンタ・クローチェ教会の設計も行ったとされている。上の画像はその教会の中庭の様子なんだけど、奥に見えているのはパッツィ家の礼拝堂なんだ。ロレンツォ・デ・メディチ暗殺を狙ったパッツィ家の陰謀で名高い家にゆかりの場所だね。

他にもヴェッキオ宮殿など今に残るいくつもの建築物や彫刻を建築・制作したアルノルフォ・ディ・カンビオなんだけど、亡くなった年も定かではないらしい。14世紀初頭に亡くなったとされているんだけどね。

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