ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1296年、イングランド王エドワード1世がスコットランドに侵攻し、運命の石(スクーン・ストーン)を持ち去った。(イギリス)


スコットランド王位継承問題と 4歳の女王マーガレット

西暦843年、ケネス・マカルピンがスコットランドピクト人の王となった。彼は既に4年前にスコット人のダルリアダ王国の王となっており、これで初めて統一スコットランド王国(アルバ王国)が誕生したことになる。

それから数百年に渡り、ケネス・マカルピンの子孫がスコットランド王となっていた。しかし、西暦1286年、スコットランド王アレグザンダー3世が跡継ぎの王子を残すことなく亡くなった。その結果、ケネス・マカルピンの直系の子孫、つまりスコットランドの王位を主張することが出来るのは、アレグザンダー3世の娘がノルウェー王と結婚して残した4歳の王女マーガレットだけになってしまった。

その4歳のマーガレットがスコットランド女王となったわけだ。ところが、スコットランド女王マーガレットは、西暦1290年に亡くなってしまった。スコットランド王国の混迷がそこから始まるわけだ。

イングランド王エドワード1世によるスコットランド侵攻

ケネス・マカルピンの最後の直系の子孫たる女王マーガレットが亡くなり、二人のスコットランド貴族、ジョン・ベイリアルとロバート・ブルースがスコットランド王位を要求した。他方で、イングランド王エドワード1世は、スコットランド王としてジョン・ベイリアルを支持。その結果、西暦1292年にジョン・ベイリアルが王位を得ることとなった。

スコットランドのエディンバラ城(イギリス)

ところが、この新しいスコットランド王ジョン・ベイリアルはイングランドの仇敵であるフランスと同盟してしまった。対するイングランド王エドワード1世は西暦1296年にスコットランドに侵攻したわけだ。エドワード1世はジョン・ベイリアルのスコットランド軍を打ち破り、エディンバラ城(上の画像)も攻略し、スコットランドに総督を置いて支配したらしい。

ちなみに、このイングランド王エドワード1世は、先にウェールズ北部の征服に苦労していたんだけど、この頃には既にウェールズ北部カーナフォン城などを築いたりして、そちらの状況は安定しつつあったんだ。だからスコットランドに出てくることが出来たわけだ。

スコットランド王国の古都パースのスクーン・パレスにあった
運命の石(スクーン・ストーン)

スコットランド王国の古都パースのスクーン・パレス(宮殿)には、運命の石(スクーン・ストーン)があった。統一スコットランド王国初代の王ケネス・マカルピンが運び込んだもの。しかも、代々のスコットランド王はその運命の石(スクーン・ストーン)の上で戴冠するという伝統あるものだった。

ところが、スコットランドを直接に支配しようとしていたイングランド王エドワード1世は、この運命の石(スクーン・ストーン)を持ち去ってしまったんだ。その運命の石(スクーン・ストーン)は、イングランドの首都ロンドンに持ち帰られ、イングランド王家ゆかりのウェストミンスター寺院に置かれてしまった。

スコットランドの古都パースのスクーン・パレスにある運命の石スクーン・ストーンのレプリカ(イギリス)

上の画像は、スコットランドのスクーン・パレス(宮殿)の庭で見た運命の石(スクーン・ストーン) ・・・ のレプリカなんだけどね。

余談ながら、このスクーンはその後もスコットランドにおいては特別な場所であり続けたみたい。例えば、西暦1649年にはスチュアート家のイギリス王チャールズ1世が清教徒革命によって処刑された。でも、その息子のチャールズ2世はこのスクーンでスコットランド王として戴冠したんだ。

但し、そのチャールズ2世はクロムウェルに敗れて亡命し、でも西暦1660年にイギリスの王政復古によって正式にイングランドとスコットランドの王として即位したんだ。

スコットランドからの反撃 ウィリアム・ウォレスやロバート・ブルース

この時点でスコットランドはイングランド王エドワード1世の支配下にあったのかもしれない。でも、スコットランドの人々はイングランドに対する反撃を始めたんだ。

例えば、後に捕えられてロンドンで処刑されたウィリアム・ウォレス(映画「ブレイヴ・ハート」の主役)はイングランド軍に勝利を収めたこともある。

例えば、後にスコットランドの王ロバート1世となったロバート・ブルース(西暦1290年に王位を要求したロバート・ブルースの孫)も、イングランドを相手に戦い続けたんだ。

運命の石 スクーン・ストーンの運命

戦いの結果、イングランドからの独立を回復したスコットランド。でも、スコットランド王の戴冠にかかわりの深い運命の石スクーン・ストーンは戻っては来なかった。エドワード1世が持ち去って以来、ずっとロンドンのウェストミンスター寺院に置かれたままだった。

そして数百年が経ち、西暦1950年のこと、何者かがウェストミンスター寺院から運命の石 スクーン・ストーンを盗み出したらしい。しかし、その4ヵ月後には発見され、運命の石 スクーン・ストーンはウェストミンスター寺院に戻されたんだそうな。

西暦1996年、つまりエドワード1世が持ち去ってからちょうど700年後、運命の石 スクーン・ストーンはイングランドからスコットランドに返還された。但し、元のスクーン・パレス(宮殿)ではなく、今はエディンバラ城に保管されているんだそうな。数奇な運命を辿った運命の石ではあるよね。

ついでながら、西暦2012年にはロンドンのイギリス政府の首相とエディンバラのスコットランドの首相との間で協議がまとまり、西暦2014年にスコットランドの独立についての住民投票を行うことになった。

その合意に基づいてスコットランドの独立を問う住民投票が行われたのが、西暦2014年09月18日だった。その結果は独立反対。でも、イギリス(連合王国)の統合は維持されたけれども、スコットランドにはより広範な自治権が与えられることになった。でも、そうなればウェールズや北アイルランドだって同等の自治権を要求するよね。というわけで、イギリス(連合王国)の動揺はまだまだ続くことになりそうだね。

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