ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1323年、シエナ生まれの彫刻家ティーノ・ディ・カマイーノがナポリにやって来た。(イタリア)


ナポリ大聖堂(ドゥオモ)を飾るティーノ・ディ・カマイーノの彫刻

ユネスコの世界遺産にも指定されているナポリの歴史地区。そこで王宮サンタ・キアーラ修道院などと並んで世界遺産を構成しているのが、ナポリ大聖堂(ドゥオモ)だね。

このナポリ大聖堂の建立が始まったのは13世紀の後半、アンジュー家の初代ナポリ王カルロ1世(シャルル・ダンジュー)の頃だった。その孫のナポリ王ロベルト統治下の14世紀前半に完成したらしい。

イタリア南部カンパーニャ地方の街ナポリの大聖堂(ドゥオモ)の正面ファサードを飾る聖母子像

そのロベルト王がナポリに招聘したのが、シエナ生まれの彫刻家ティーノ・ディ・カマイーノだった。西暦1323年にナポリにやって来た彼の作品の一つが、上の画像にある聖母子像(ナポリ大聖堂の正面ファサードを飾る彫刻)なんだ。彼はナポリで14年を過ごし、西暦1337年にナポリで亡くなったんだそうな。

シエナ大聖堂とティーノ・ディ・カマイーノ

イタリアの彫刻家ティーノ・ディ・カマイーノは西暦1280年にシエナで生まれている。やがて彼は彫刻家ジョヴァンニ・ピサーノの弟子となっている。

イタリアのシエナの大聖堂(ドゥオモ)の正面ファサードを横から眺めた

その頃のジョヴァンニ・ピサーノはシエナとピサに仕事を持っており、二つの街を行き来していた。そんな忙しい親方を手伝っていた弟子のティーノ・ディ・カマイーノは、上の画像にあるシエナ大聖堂(ドゥオモ)の仕事にも関与していたらしい。

ピサの大聖堂とティーノ・ディ・カマイーノ

シエナでの仕事がひと区切りがつき、ティーノ・ディ・カマイーノは親方と共にピサに移っている。やがて彼が30歳を過ぎた頃、彼はピサ大聖堂での仕事の主任彫刻家となったんだそうな。いよいよ彫刻家として独り立ちということなんだね。

イタリアのピサの斜塔と大聖堂(ドゥオモ)

彫刻家ティーノ・ディ・カマイーノが一人前の彫刻家として仕事を得たピサの大聖堂(ドゥオモ)が上の画像だね。大聖堂の向こうには名高いピサの斜塔も見えている。(ちなみに、上の画像の左端にわずかに見えているのは洗礼堂。)

フィレンツェに移った彫刻家ティーノ・ディ・カマイーノ

独り立ちをした彫刻家ティーノ・ディ・カマイーノにフィレンツェでの仕事も舞い込んできた。彼はフィレンツェの大聖堂(ドゥオモあるいは花の聖母マリア大聖堂)サンタ・クローチェ教会サンタ・マリア・ノヴェッラ教会で墓碑などを制作したらしい。

イタリアのフィレンツェの大聖堂(ドゥオモあるいは花の聖母マリア大聖堂)とヴェッキオ宮殿

そんなイタリアの古都フィレンツェを眺めたのが上の画像なんだ。メディチ家ゆかりのボボリ庭園からの遠望なんだけど、左手に見えるドームのある建物が大聖堂、右手の塔のある建物はヴェッキオ宮殿だね。

そんなこんなでナポリへ行くまでの彫刻家ティーノ・ディ・カマイーノの足跡を追ってみたんだけど、今の私たちがイタリアで観光に訪れたい各地の名所に関与していたんだね。彫刻家ティーノ・ディ・カマイーノに限らず、古代・中世からルネサンス、そしてバロックにかけて多くの有名無名の芸術家が今のイタリアを作り上げてきたということなんだろうね。

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