グラナダにあるカトリック両王の墓碑(スペイン)
スペイン南部のアンダルシアの街グラナダにある大聖堂の横に、王室礼拝堂がある。その中であるカップルの墓碑を見ることが出来るんだ。それが右の画像にあるカトリック両王の墓碑。カトリック両王とはカスティリア女王イサベラとアラゴン王フェルナンドのことだね。スペインの、いやヨーロッパの歴史には欠かせないカップルだ。 西暦1492年、カスティリアの王女イサベル(イザベルが正しいのかな ?? )と、アラゴンの王子フェルナンド(こちらはフェルディナンド ?? )が結婚した。 その後、西暦1474年にはイサベルがカスティリアの女王となり、西暦1479年にはフェルナンドがアラゴンの王となった。この時点でカスティリアとアラゴンの連合が成立し、ある意味でスペインが統一されたと考えることも出来るよね。 ナスル朝グラナダ王国のアルハンブラ宮殿陥落ある意味では統一されたスペインとは対照的に、イベリア半島に残された最後のイスラム国家であるナスル朝グラナダ王国では内部分裂が起こっていたんだ。イスラム国家グラナダ王国の王アブル・ハサン・アリーの息子であるアブー・アブドゥラ・ムハンマド12世(あるいはボアブディル)は、西暦1482年に父王に対して反乱を起こし、王国の中心グラナダを占領してしまった。 しかも、アブー・アブドゥラ・ムハンマド12世の叔父であるザガルまで王を称し、グラナダ王国は分裂の極みに陥ってしまったんだ。 イサベラとフェルナンドのカトリック両王が、この好機を逃すはずがない。スペイン軍がグラナダ王国各地に侵攻し、1485年からロンダ、ローハ、マラガ、アルメリーアなどの街が次々とキリスト教徒の手に落ちていった。 そして西暦1491年、大砲まで用意したスペインの大軍がグラナダを包囲した。抵抗を続けるイスラム教徒。しかし、食料の確保さえも困難になった。
包囲が始まって7ヶ月が経った西暦1492年1月2日、ナスル朝グラナダ王国が降伏した。アブー・アブドゥラ・ムハンマド12世(ボアブディル)からアルハンブラ宮殿の鍵を受け取ったカトリック両王は、1月6日にアルハンブラ宮殿に十字架を掲げたんだ。(右の画像はアルハンブラ宮殿の中にあるライオンの中庭。) ナスル朝グラナダ王国の最後の王アブー・アブドゥラ・ムハンマド12世(ボアブディル)は、二年後にスペインを退去させられた。アルハンブラ宮殿を最後に見た彼が涙を流した際、その母であるスライアにたしなめられたと言われている。(下の画像はアルハンブラ宮殿から見下ろしたグラナダの街。)
その母后スライアの言葉は、「女みたいに泣くんだね。男だったら守れた街を守れなかったからかい ?? 」というものだったらしい。ちなみにスライアはキリスト教徒の出身だった。 |