ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1498年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマ艦隊がインドのカリカットに到達した。


ヴァスコ・ダ・ガマ以前の状況

西暦1460年に亡くなったエンリケ航海王子のイニシアティヴの許に、ポルトガルはアフリカ西岸を南下して、貿易を行っていた。その後、西暦1488年にはバーソロミュー・ディアスが、アフリカ南端の喜望峰を発見している。

1492年には、新大陸を発見したコロンブスがリスボンに寄港し、ポルトガル王ジョアン2世に拝謁した。大航海時代のポルトガルの英雄 ヴァスコ・ダ・ガマが登場したのは、そんな時代だったんだ。

ヴァスコ・ダ・ガマ、喜望峰を越えてインドに到達

そして西暦1497年7月8日、ヴァスコ・ダ・ガマ指揮下の4隻の船がリスボンを出港した。

リスボンのジェロニモス修道院にあるヴァスコ・ダ・ガマの墓(ポルトガル) 同年11月22日には、ヴァスコ・ダ・ガマ艦隊が喜望峰を越え、アフリカ東岸を北上し始めた。明けて西暦1498年5月20日、ヴァスコ・ダ・ガマ艦隊がインドのカリカットに到達。

翌年の西暦1499年8月、ヴァスコ・ダ・ガマ艦隊がリスボンに帰還した。(右の画像は、リスボンのジェロニモス修道院にあるヴァスコ・ダ・ガマの墓の様子。)

その後、西暦1510年にはポルトガルがインドのゴアを占領、翌年にはマラッカを占領している。多くの人々がヴァスコ・ダ・ガマの後に続き、植民地帝国ポルトガルを築いたわけだね。(植民地にされた土地の人々には迷惑だったかもしれないけど...。)




ジェロニモス修道院(リスボン、ポルトガル)

ところで、上の画像にあるヴァスコ・ダ・ガマの墓なんだけど、リスボンの発見のモニュメント近くにあるジェロニモス修道院の中にあるんだ。

そのジェロニモス修道院は、西暦1502年に当時のポルトガル王マヌエル1世の命により建設が始まった。その建設資金は、ヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った香料の売却益から出たというから、修道院の中にヴァスコ・ダ・ガマのお墓を作っても当然といえるかな。

ちなみにジェロニモス修道院は、海草や船のロープなど海にまつわるものを装飾に多用する「マヌエル様式」の代表的な建築なんだって。つまりは、大航海時代のポルトガルを象徴する建物なんだね。(下の画像は、ジェロニモス修道院の回廊の様子。)

リスボンのジェロニモス修道院の回廊(ポルトガル)

【参考】都市別ツアー検索


【参考】都市別ホテル検索


次のページ



関連書籍

参考になる・・・かもしれない本を探してみました。



関連リンク

旅行記 「春のポルトガル」
(リスボン、シントラ、オビドス、ナザレ)




姉妹サイト ヨーロッパ三昧 (旅・食・花)

ヨーロッパ三昧

イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ギリシャ・トルコ・エジプトなどヨーロッパと香港の旅行記 25カ国42編を中心とするサイト「ヨーロッパ三昧」。

20カ国100店のレストランを紹介するコーナーや、ロンドンに住んでいた頃のガーデニング日記、日本国内を旅する四季の日本のコーナーなどもあります。


「ヨーロッパ三昧」のトップ・ページのURLは、 http://www.europe-z.com/ です。

姉妹サイト イタリア三昧+マルタ

イタリア三昧+マルタ

イタリアの旅行記5編とマルタの旅行記2編から構成される旅行記集です。画像の数も増え、大きさ・画質も改善して、本館「ヨーロッパ三昧」から独立しました。

「イタリア三昧+マルタ」のトップ・ページのURLは、 http://www.italy-malta-z.com/ です。

Copyright (c) 2002 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。