ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1836年、フランスの首都パリのエトワール広場に凱旋門が完成した。


フランスの自由と独立を象徴するパリの凱旋門

パリのエトワール広場にある凱旋門は、フランスの自由や独立を象徴する存在なんだろうね。7月14日のパリ祭(フランス革命記念日)に凱旋門周辺で華やかな儀式やパレードが行われるのもその表れだろうし、ナチス・ドイツによる占領からパリが解放された時にド・ゴール将軍が凱旋門から帰還したのも同じかな。

下の画像は三色旗を掲げる凱旋門の様子なんだ。バスの中から撮ったもんだから、ピンボケしていて申し訳ないんだけどね。

フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門と三色旗 フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門と三色旗 フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門と三色旗 フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門と三色旗

皇帝ナポレオンが計画した凱旋門の建設

じゃあ、このエトワール広場の凱旋門って誰が何のために建設したのかご存知かな ?? 実は西暦1806年に当時のフランス皇帝だったナポレオンが自らの勝利と栄光を記念するために計画したものなんだって。

ルーブルのカルーゼル広場にある凱旋門(パリ、フランス) 皇帝ナポレオンは今のルーブル美術館のカルーゼル広場に凱旋門(右の画像)を建設していたんだけど、もっと大きくて立派な凱旋門が欲しくなっちゃったのかな。

カルーゼル広場の凱旋門だって、イタリア首都ローマフォロ・ロマーノで見ることの出来る古代ローマ時代のセプティミウス・セヴェルス帝の凱旋門コンスタンティヌス帝の凱旋門をモデルにした立派なものなんだけどね。




皇帝ナポレオンの死後に完成した凱旋門

ところが、皇帝ナポレオンはついに敗れ、帝位を失ってセント・ヘレナ島に流されてしまった。その島で亡くなったのが西暦1821年。そして、このパリの凱旋門が完成したのが西暦1836年。つまり、皇帝ナポレオンは、下の画像のような凱旋門の上から見るパリの眺めを知らずに亡くなってしまったというわけだ。

フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門の上からの眺め フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門の上からの眺め フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門の上からの眺め フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門の上からの眺め

ヨーロッパに専制を布こうとした皇帝ナポレオンがフランス革命の掲げる自由・平等・博愛を尊重したのかどうか、議論はつきないだろうな。でも、少なくとも彼の計画したパリの凱旋門はフランス革命の象徴として生き続けているよね。

フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門と青空 フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門と青空 フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門と青空 フランスの首都パリのエトワール広場にある凱旋門と青空

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