ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1863年、モナコ公国のモンテカルロにグラン・カジノがオープンした。


モナコ公国のモンテカルロにあるグラン・カジノといえば ・・・

地中海北岸のコート・ダジュールにあるモナコ公国といえば、世界中のお金持ちが集まるリゾートだよね。青い海には豪華な白いヨットが浮かび、高級ホテルにレストラン、そしてハリウッド女優のグレース・ケリーと結婚した先代モナコ大公。それが私たちの描くモナコ公国かな。

モナコ公国の大公宮殿近くの城門から眺めたモナコ港と向こうのモンテカルロ方面

そのモナコ公国の中でも特にモンテカルロのグラン・カジノといえば、その中でも極めつけのゴージャスな場所というイメージだよね。(上の画像はモナコ大公宮殿の城門近くから眺めたモナコ港。向こう岸の右側先端辺りにモンテカルロがある。)

ところが、このモナコ公国のカジノが赤字続きで運営費すら賄えず、日々の資金繰りにも困っていた時代があったんだそうな。

財政難に陥ったモナコ公国とモナコ大公家

時は200年以上も前のこと。フランス革命後に革命軍がニースモナコ公国を占領し、モナコ大公は亡命を余儀なくされていた。その後、皇帝ナポレオンの没落後の西暦1814年、ようやくモナコ大公はモナコ公国に戻ることが出来た。

ところが、モナコ公国の周辺部のマントンやロクブリュヌ(今はモナコ公国とイタリア国境との間にあるフランス領の土地)では、モナコ大公家に対する反発が強まっていた。そして西暦1848年にはマントンとロクブリュヌ地区はモナコ公国からの離脱を宣言し、税金を納めることを拒否したんだ。

そんなこんなで税収を失い、財政難に苦しむモナコ大公家(グリマルディ家)は破産寸前に陥っていた。そこで大公家の跡取り息子のシャルル(後のモナコ大公シャルル3世)は、モナコに温泉やカジノを建てて観光地として開発しようと計画したわけだ。(下の画像は今のモナコ大公宮殿。)

モナコ公国の大公宮殿

モナコ公国の最初のカジノがオープンしたのが西暦1856年のこと。今のカジノがあるモナコ港の東側のモンテカルロではなく、モナコ大公宮殿やモナコ大聖堂のある岩ロックの西側のコンダミーヌ地区に建てられたらしい。

ところが、このモナコ公国最初のカジノは成功しなかった。当時のモナコ公国の交通の便は悪く、近くにあるニース(イギリス人が冬の寒さを逃れて滞在し、ニースの海岸通プロムナード・デ・ザングレなども完成していた観光地)まで行くことさえも不便だった。しかも、当時のモナコ公国には、外国からの観光客の為の宿泊施設さえ不十分だった。

そこで動き出したのがモナコ大公シャルル3世の母親のカロリーヌ前大公妃だった。彼女はフランス人の実業家でカジノ経営で名高いフランソワ・ブランと交渉し、モナコ公国のカジノ経営を観光開発を引き受けるようにと依頼したんだ。

当初はそれを拒否していたフランソワ・ブラン。でも、何年もかけて根気良く依頼して来る前モナコ大公妃に根負けし、とうとうモナコ公国のカジノ運営と観光開発を引き受けたというわけだ。

モンテカルロにあるグラン・カジノ

そして西暦1863年、モナコ公国のモンテカルロにグラン・カジノがオープンした。下の画像がそのモンテカルロのグラン・カジノなんだけど、フランスの首都パリにあるオペラ座(オペラ・ガルニエ)と同じく、シャルル・ガルニエの設計なんだそうな。

モナコ公国のモンテカルロにあるグラン・カジノ

このモナコ公国の新しい事業カジノを運営するために組織されたのが、ソシエテ・デ・バンズ・ド・メール(和訳すると「海水浴公社」になるらしいんだけど ・・・ )だった。この新しい公社の株主として、モナコ大公家(グリマルディ家)やモナコ政府、フランソワ・ブランなどは当然のこととして、モナコ司教や後のローマ教皇レオ13世(当時は枢機卿)などもいたらしい。

ついでながら、このモンテカルロのグラン・カジノに入る為には、入場料10ユーロとパスポートが必要となる。服装については、あまりカジュアルなものは避けたほうがいいね。

注意すべきは、グラン・カジノの建物の中ではカメラなどは使用禁止。下手に内部を撮影すると逮捕されるんだそうな。それを教えてくれた警備員氏の話によれば、モナコの刑務所の食事はとっても美味しいらしい。それを確かめるにグラン・カジノの中を撮影するという手もあるけどね。

モンテカルロのオテル・ド・パリなど

西暦1863年にモンテカルロでオープンしたグラン・カジノに続き、その翌年にはオテル・ド・パリ(下の画像)、西暦1868年にはカフェ・ド・パリなどもオープンしている。ちなみに、今もモナコ公国内の主要なホテルやレストランを経営しているのはソシエテ・デ・バンズ・ド・メール(「海水浴公社」)なんだそうな。

モナコ公国のモンテカルロにあるオテル・ド・パリ

そんなこんなでモナコ公国のカジノと観光開発は大成功となり、西暦1869年にはモナコ公国における所得税の徴収は廃止されたんだ。それは今も続いていて、企業は別として、個人の所得税は無い。だから世界中のお金持ちが集まって来るんだよね。

ちなみに、上にも登場していたマントンとロクブリュヌの二つの地区のこと。西暦1861年にフランスがモナコ公国の主権を承認したんだけど、その前年にモナコ公国はその二つの地区をフランスに売り渡している。納税も得られないんだから、やむをえなかったんだろうね。でも、その二つの地区の住民は、まさかモナコ公国で所得税が廃止されることになるとは予想もつかなかったろうね。ちょいと悔しい思いをしているかも。

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