ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦1889年、イタリアの代表的なピザのひとつピッツァ・マルゲリータがナポリで考案された。


西暦1889年、ピッツァ・マルゲリータがナポリで誕生

イタリアのピザといえばピッツァ・マルゲリータが頭に浮かぶ人も少なくないよね。このピザに使われているバジルの緑、モツァレラ・チーズの白、トマトの赤という三色がイタリアの国旗 を表現していることでも、イタリアを代表するピザといえるかもしれないね。

イタリア南部カンパーニャ地方の街ナポリのピッツェリア「ブランディ」で食べたピッツァ・マルゲリータ

このピッツァ・マルゲリータが西暦1889年に考案されたのは、イタリアのピザの本場ナポリでのことだった。

イタリア王妃マルゲリータに捧げられたピザ

長く続いたイタリアの分裂が終わり、統一イタリア王国が成立したのは西暦1861年のことだった。その第2代国王ウンベルト1世がマルゲリータ王妃(下の画像)と共にナポリの街を訪れたのが西暦1889年のこと。

ピッツァ・マルゲリータの呼び名の元となった19世紀後半のイタリアの王妃マルゲリータ

その王妃マルゲリータの為に考案されたのが、イタリア南部に多い水牛のミルクで作られたモツァレラ・チーズを使い、バジルとトマトを載せたピザだった。そのピザを王妃は気に入ったらしい。そんなわけで、王妃の名にちなんで、そのピザはピッツァ・マルゲリータと呼ばれているわけだ。

ナポリの老舗ピッツェリア「ブランディ」

イタリアの代表的なピザとなったピッツァ・マルゲリータを考案したのは、ピザ職人のラファエレ・エスポシトだった。彼は創業1780年とされるナポリの店「ピッツェリア・ディ・ピエトロ」で働いていた。

イタリア南部カンパーニャ地方の街ナポリのピッツェリア「ブランディ」のピザ窯は大忙し

その後、そのナポリの店の名前は「ブランディ」となった。上の画像はそのナポリの老舗ピッツェリア「ブランディ」のキッチンのピザ焼き窯の様子。忙しそうだよね。ついでながら、このページの冒頭の画像のピザは、「ブランディ」で食べたピッツァ・マルゲリータなんだ。王妃マルゲリータが食べたものと同じかどうかは定かじゃないけどね。

ピッツァ・マルゲリータについて異議あり

以上がイタリアのピッツァ・マルゲリータの誕生についてのお話なんだけど、実は異議も出ている。西暦1889年よりも前からピッツァ・マルゲリータは作られていたというんだ。

イタリア南部カンパーニャ地方の街ナポリのピッツェリア「ポルタルバ」で食べたピッツァ・マルゲリータ

そんな異議を唱えたのは、「ブランディ」に勝るとも劣らないナポリの老舗ピッツェリア「ポルタルバ」だった。上の画像はその「ポルタルバ」で食べたピッツァ・マルゲリータなんだけど、こちらも負けずに美味しかった。

そんなこんなで誇り高くピザを作るナポリのピッツェリアが激しく競争をすればこそ、本場ナポリで私たちは美味しいピザを食べることが出来るわけだね。(ナポリに限らず、ローマなどイタリアのあちこちで美味しいピザを食べることが出来るんだけどね。)

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