ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦1884年、フランス第2の都市リヨンにノートルダム・ド・フルヴィエール教会が完成した。


リヨンの丘の上のノートルダム・ド・フルヴィエール教会

フランス第2の都市リヨンに行けば、そのフルヴィエールの丘の上に立つ白亜のノートルダム・ド・フルヴィエール教会(下の画像)に眼が行くかな。

フランス第2の都市リヨンのノートルダム・ド・フルヴィエール教会外観

このリヨンのノートルダム・ド・フルヴィエール教会は、街を見下ろす丘の上の白亜の教会という点で、パリモンマルトルの丘の上のサクレ・クール寺院と似ているよね。それも、フランスが敗れた普仏戦争の直後に着工されたという点でも二つの教会は共通している。

但し、パリのサクレ・クール寺院の完成(というよりも公開かな)は西暦1919年だったのに対して、リヨンのノートルダム・ド・フルヴィエール教会の完成は西暦1884年だったけどね。

聖母マリアに捧げられたノートルダム・ド・フルヴィエール教会

このリヨンのノートルダム・ド・フルヴィエール教会は、言うまでもないことかもしれないけど、ノートルダム(聖母マリア)に捧げられた教会なわけだ。というわけで、その入り口の上には、下の画像のように聖母マリア(ノートルダム)が人々を見守っている。

フランス第2の都市リヨンのノートルダム・ド・フルヴィエール教会入り口の上の聖母マリア(ノートルダム)

このリヨンのノートルダム・ド・フルヴィエール教会が着工されたのは、西暦1872年のことだった。つまりは、普仏戦争でフランスが敗れ、ヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が戴冠式を行った翌年に工事が始まったということだね。

その普仏戦争で皇帝ナポレオン3世が捕われた翌月の西暦1870年10月には、ブルゴーニュ地方の古都ディジョンがプロシア軍に占領されている。プロシア軍部隊は更に南下し、リヨン方面に向かい始めたらしい。ところが、やがてプロシア軍は停止し、リヨンを占領することなく引き返した。

それはノートルダム(聖母マリア)の御加護のおかげだったとして、このリヨンのノートルダム・ド・フルヴィエール教会が建設されたと言われているんだ。(実際にはプロシア軍に占領されたディジョンが翌年1月に解放された結果として、補給に不安を抱いたプロシア軍は引き返したと解釈できるんだけどね。)

一説によれば、14世紀にフランス南部プロヴァンス地方港町マルセイユに上陸したペスト(黒死病)の流行が沈静化したのは聖母マリア(ノートルダム)のおかげであり、その感謝の意をこめてノートルダム・ド・フルヴィエール教会が建設されたという資料もある。

しかしながら、西暦1823年に流行したコレラからリヨンの街を守ったのがノートルダム(聖母マリア)であり、ノートルダム・ド・フルヴィエール教会の建設にはその感謝の意味がある、とする資料もある。

リヨン大司教はガリア(フランス)の首座

いずれにせよ、リヨンの人々は聖母マリア(ノートルダム)に深く感謝しているわけだね。(ちなみに、フランスの各地にノートルダム教会・聖堂がある。パリのノートルダム大聖堂ディジョンのノートルダム教会マルセイユのノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院などなど。)

そもそもはリヨンは敬虔なカトリックの街なんだろうね。そんなリヨンの大司教は、ローマ教皇によって西暦1079年にガリア(フランス)のキリスト教会の首座にあるとされたんだ。(イギリスのカンタベリー大聖堂の大司教あるいは大主教のような地位かな。)

フランス第2の都市リヨンのノートルダム・ド・フルヴィエール教会とサン・ジャン大聖堂の夜景

上の画像はリヨンの夜景なんだけど、中央の大きな建物が大司教座のあるリヨン大聖堂(サン・ジャン大聖堂)で、その左上に見える丘の上の建物がノートルダム・ド・フルヴィエール教会なんだ。

ちなみに、16世紀にはフランスで宗教対立が激化し、西暦1572年にはパリでサン・バルテルミーの虐殺が起こっている。その余波がリヨンにも及び、この街で多くのユグノー(プロテスタント)が虐殺されたんだそうな。その意味でも、このリヨンは伝統的に熱心なカトリックの街なのかなと思ったりもする。

古代ローマ帝国皇帝のフォロ跡に建てられた教会

ちなみに、このノートルダム・ド・フルヴィエール教会は、古代ローマ帝国の皇帝トラヤヌスのフォロの跡地に建てられているんだそうな。

フランス第2の都市リヨンのフルヴィエールの丘に残る古代ローマ帝国時代の劇場跡

そもそもリヨンは古代ローマ帝国によって築かれた街ルグドゥヌムだったからね。そしてノートルダム・ド・フルヴィエール教会のあるフルヴィエールの丘には、上の画像に見える古代ローマ帝国時代の大きな劇場跡なども残されているんだ。

モナコ公国の大聖堂

ついでなんだけど、このリヨンのノートルダム・ド・フルヴィエール教会が完成した西暦1884年に、ニース近くのモナコ公国でも大聖堂が完成している。そのモナコ大聖堂も、このノートルダム・ド・フルヴィエール教会と同じくロマネスク・ビザンティン様式であり、内部は輝くモザイク画で飾られているんだ。ロマネスク・ビザンティン様式は19世紀後半のトレンドだったのかな。

ちなみに、このモナコ大聖堂では、元ハリウッド女優のモナコ大公妃グレース・ケリーも眠っているんだ。

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