ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦1920年、トリアノン条約により、かつてハンガリー王国の一部だったトランシルヴァニアが、ルーマニア領となった。


第一次世界大戦の戦後処理とトランシルヴァニア

西暦1918年11月3日、オーストリア・ハンガリー二重帝国が休戦協定に調印。11月11日には、ドイツ帝国も休戦協定に調印し、第一次世界大戦が終結した。

戦火は止んだ。でも、困難な課題として残ったのは、ヨーロッパに新しい秩序を作り上げることだったんだ。その中でも特に難題となったのは、多くの民族にまたがっていたオーストリア・ハンガリー二重帝国の支配下にあった諸民族の取り扱いだった。

西暦1920年6月4日、連合国とハンガリーとの間にトリアノン条約が結ばれた。その結果、ハンガリーは国土と人口の三分の二を失うことになった。

ルーマニア領となったトランシルヴァニア地方

トランシルヴァニアの街シビウにあるルーマニア正教の大聖堂(ルーマニア) ハンガリーが失った国土の代表的なものに、トランシルヴァニア地方がある。中世ハンガリー王国の時代には、トランシルヴァニア地方はハンガリーの領土だった。

でも、ルーマニア系の住民が多いということで、トランシルヴァニアはルーマニアの領土とされたわけだ。(右の画像はトランシルヴァニアの街シビウにあるルーマニア正教の大聖堂。)




トランシルヴァニア地方に住むドイツ人・ハンガリー人

ところが問題を難しくしているのは、トランシルヴァニア地方に住むドイツ人やハンガリー人の存在なんだ。そもそもは13世紀半ばのこと。モンゴル軍の侵入によって荒廃したトランシルヴァニアの復興の為、ハンガリー王はドイツ系の人々を移民としてトランシルヴァニアに移住させた。

現在でもトランシルヴァニア地方には、ドイツ系・ハンガリー系の人々が住んでいる。一般のルーマニア人がルーマニア正教を信仰しているのに対して、ドイツ系・ハンガリー系の人々はルター派やカトリックを信仰している。

下の二つの画像のうち、左側にあるのはカルパチア山中の村でみかけたルター派の教会。右側にあるのはトランシルヴァニアの街シビウにあるカトリックの教会。トランシルヴァニアの少数民族の存在は、今でもハンガリーとルーマニアの間に問題を残している。

カルパチア山中にある村のルター派の教会(ルーマニア) トランシルヴァニアの街シビウにあるカトリックの教会(ルーマニア)

【参考】都市別ツアー検索


【参考】都市別ホテル検索


次のページ



関連書籍

参考になる・・・かもしれない本を探してみました。



関連リンク

旅行記 「春のルーマニア(東欧)」
(ワラキア、トランシルヴァニア、串刺し公ヴラッド・ツェペシュ)




姉妹サイト ヨーロッパ三昧 (旅・食・花)

ヨーロッパ三昧

イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ギリシャ・トルコ・エジプトなどヨーロッパと香港の旅行記 25カ国42編を中心とするサイト「ヨーロッパ三昧」。

20カ国100店のレストランを紹介するコーナーや、ロンドンに住んでいた頃のガーデニング日記、日本国内を旅する四季の日本のコーナーなどもあります。


「ヨーロッパ三昧」のトップ・ページのURLは、 http://www.europe-z.com/ です。

姉妹サイト イタリア三昧+マルタ

イタリア三昧+マルタ

イタリアの旅行記5編とマルタの旅行記2編から構成される旅行記集です。画像の数も増え、大きさ・画質も改善して、本館「ヨーロッパ三昧」から独立しました。

「イタリア三昧+マルタ」のトップ・ページのURLは、 http://www.italy-malta-z.com/ です。

Copyright (c) 2002 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。