オスマン・トルコの崩壊とトルコ共和国の成立
西暦1923年10月29日、トルコ共和国の成立が宣言され、ムスタファ・ケマル・アタテュルクが初代大統領に就任した。オスマン・トルコのスルタン制は既に廃止され、最後のスルタンだったメフメト6世は亡命していた。右の画像は、トルコの救世主あるいは建国の父とされるムスタファ・ケマル・アタテュルクの肖像を描いたトルコの切手なんだ。 トルコの英雄 ムスタファ・ケマル・アタテュルクムスタファ・ケマルアタテュルクは、西暦1881年にテッサロニカで生まれた。1906年には、トルコの近代化を主張する青年トルコ党(1891年に結成された)の支部を設立して政治活動を始めていた。
西暦1914年、第一次世界大戦において、オスマン・トルコはドイツ側に立って参戦。陸軍の軍人となっていたムスタファ・ケマルは、ダーダネルス海峡の激戦で活躍し、トルコの英雄となったんだ。 右の画像は、トルコで買った彼の伝記の表紙なんだけど、軍服姿のムスタファ・ケマルが描かれている。 西暦1918年、スルタンのメフメト6世が連合国に降伏。トルコにとって極めて不利なセーヴル条約が調印された。 西暦1922年、アンカラに革命政権を樹立していたムスタファ・ケマルは、列強の支持の許にトルコに進攻していたギリシャを撃ち破り、セーヴル条約を破棄した。 西暦1923年7月24日、ムスタファ・ケマル政権は列強とローザンヌ条約を締結した。他方でオスマン・トルコのスルタン制が廃止され、最後のスルタンだったメフメト6世は海外に亡命した。 同年10月13日、ムスタファ・ケマルが首都をアンカラへ移した。同年10月29日、トルコ共和国の成立が宣言され、ムスタファ・ケマルが大統領に就任した。翌年には、カリフ制も廃止された。 |
アタテュルク (トルコの父)西暦1934年、トルコ共和国の国会が、ムスタファ・ケマルにアタテュルク(トルコの父)という尊称を贈った。
西暦1938年、ムスタファ・ケマル・アタテュルク死去。享年は57歳だった。1953年、トルコ共和国の首都アンカラにあるアタテュルク廟に、ケマル・アタテュルクの遺体が移された。(右の画像はアタテュルク廟。) アタテュルク廟を警護する兵士たち
アンカラにあるアタテュルク廟は、多くの兵士たちによって警護されている。これは「トルコの父」に対する敬意とも解釈できるかな。でも、アタテュルク廟に対するテロの可能性と見ることも出来るね。というのも、ムスタファ・ケマル・アタテュルクは、トルコの近代化の為に政教分離政策を採ったことから、イスラム原理主義者の恨みを買っている可能性があるんだ。 あるいは、トルコ国内の少数民族であるクルド族のテロの可能性もあるのかもしれないね。 ちなみに、西暦1951年7月25日、トルコで「反アタテュルク行為の犯罪に関する法律」が制定されている。
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