ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1965年、独裁者チャウシェスクが、ルーマニア共産党の党首となった。


かつての原油生産国ルーマニア

原油生産といえば頭に浮かぶのは、サウジアラビアやイランなどの中近東諸国かな。あるいは近年になって脚光をあびているアゼルバイジャンなどのカスピ海諸国かな。

ルーマニアの田舎で見かけた原油輸送のパイプ・ライン ところが、東ヨーロッパにも歴史ある原油生産国があった。それが東欧の国ルーマニアだったんだ。

右の画像は、ルーマニアの田園地帯で見かけた原油輸送のためのパイプ・ライン。但し、19世紀半ばから始まったルーマニアの原油生産は、かなり昔にピークを過ぎているんだけどね。

石油精製設備と独裁者チャウシェスクの蹉跌

そんな斜陽の原油生産国ルーマニアに登場してきたのが、後に独裁者となったチャウシェスクだった。西暦1965年にルーマニア共産党の党首となった彼は、西暦1967年には大統領になっている。

政権を握ったチャウシェスクは、従来の東欧共産主義政権とは異なる政策を採ったんだ。まず、東欧に駐留していたソ連軍の撤退を要求した。この政策は西側諸国を喜ばせた。

チャウシェスクを評価した西側諸国は、ルーマニアとの友好関係を深め、巨額の資金の貸付を行ったんだ。そして、西側の資金を取り入れることに成功したチャウシェスクは、巨大な石油精製設備を建設した。(下の画像は、ルーマニアのピテシュの街にある石油精製設備。)

ルーマニアのピテシュの街にある石油精製設備

チャウシェスクが狙ったのは、生産量が減少している国内の油田ではなく、海外の油田で生産された原油を輸入し、国内に建設された新鋭の設備で精製した製品を輸出して外貨を獲得することだった。




ところが、タイミングが悪かった。1970年には二度にわたって石油危機が起きてしまったんだ。輸入する原油価格は高騰し、石油精製設備は大赤字に陥った。

それでも西側諸国には資金を返済しなければいけない。その資金を確保するために、チャウシェスクは独裁者となった。輸入を制限して国民生活を抑制した。その結果として高まる国内の不満を抑えつけるために、彼は更に独裁的な政策を採らざるを得なくなったわけだ。

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