ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦1989年、ルーマニアで独裁体制が倒され、チャウシェスク大統領夫妻が処刑された。


西暦1989年12月、ルーマニアの独裁者チャウシェスク大統領夫妻が処刑された。

旧東ドイツベルリンの壁が崩壊したのが西暦1989年11月。その翌月の西暦1989年12月には、ルーマニアの地方都市ティミショアラでデモが行われた。

ルーマニアの首都ブカレストの大学広場。ここで反チャウシェスクのデモが燃え上がった。 その数日後、ティミショアラのデモは、ルーマニアの首都ブカレストにも飛び火し、大学広場(右の画像)では大規模なデモが行われた。

その後、事態は更に先鋭化し、西暦1965年から独裁者としてルーマニアを支配していたチャウシェスク大統領が失脚したんだ。やがて人々に捕らえられたチャウシェスク大統領は、夫人と共に処刑されてしまった。

ルーマニアの首都ブカレストを睥睨する
チャウシェスク宮殿(国民宮殿)

独裁者チャウシェスクは無残な死に方をした。でも、彼が残した巨大なチャウシェスク宮殿(あるいは国民宮殿)は、今でもブカレストの街を睥睨しているんだ。

ルーマニアの首都ブカレストにあるチャウシェスク宮殿の内部 右の画像は、そのチャウシェスク宮殿の内部。カメラは原則として使用禁止なんだけど、撮影料 15,000レイ(約240円)を支払えば、宮殿の内部を撮影できる。

チャウシェスクの遺産は、観光客の落とす入場料と撮影料を、経済の混乱するルーマニアにもたらしているわけだ。彼が残した混乱の大きさに比べれば、焼け石に水なのかもしれないけど...。

銀や大理石をふんだんに使い、豪華な装飾を施した宮殿。部屋の数は2000を越えるという巨大な建物。このチャウシェスク宮殿(下の画像)を建てる為に、10軒以上の教会と100軒以上の民家が一夜のうちに取り壊されてしまったそうな。

ルーマニアの首都ブカレストにあるチャウシェスク宮殿(あるいは国民宮殿)

余談ながら、このチャウシェスク宮殿は、独裁政権の崩壊後には国会議事堂として使われているらしい。

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