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西暦1556年、ハプスブルク家の皇帝カール5世(スペインではカルロス1世)が、息子のフェリペ2世にスペイン王位を譲った。
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ハプスブルク家の皇帝カール5世の息子 スペイン王フェリペ2世
西暦1527年、ハプスブルク家の皇帝カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)とポルトガルの王女イサベルとの間に、フェリペ2世が生まれた。
西暦1555年、カール5世はブルゴーニュ公の位をフェリペ2世に譲った。この時点で、フェリペ2世は現在のオランダやベルギーの支配者となったわけだ。
その翌年の西暦1556年1月にはカール5世(スペインではカルロス1世)がスペイン王の位を退位し、フェリペ2世がスペイン王として即位している。(同年9月にはカール5世は皇帝位をも退位し、翌年3月に弟のフェルディナント1世が皇帝となった。)
下の画像はスペイン王フェリペ2世の肖像。ナポリの国立考古学博物館に展示されているコインに刻まれているもの。
意外に苦労している御曹司フェリペ2世
日の没することのない帝国を築き上げた父カール5世から、広大な領土を支配するスペイン帝国を継承したフェリペ2世なんだけど、必ずしも左団扇の暮らしを楽しんでいたわけでもないみたい。
というのも、即位1年後の西暦1557年には、スペインの国庫破産が宣言されているんだ。中南米で鉱山開発を行ってはいても、大量の銀が流れこんでくるのは、もう少し先のことだったんだ。
しかも、父親のカール5世の時代には、フランス王フランソワ1世やドイツの新教徒貴族たち、更にオスマン・トルコのスレイマン大帝などとの戦いが続き、膨大な戦費のために借金が膨れ上がっていた。おかげで息子のフェリペ2世が苦労する羽目になったわけだ。
マドリッドに都を遷したフェリペ2世
即位直後から金に苦労したフェリペ2世なんだけど、西暦1561年にはスペイン王国の首都をマドリッドに遷している。(下の画像は、首都マドリッドにあるマヨール広場の様子。騎馬像はフェリペ2世の息子フェリペ3世。)
まだまだ続くフェリペ2世の苦労
マドリッドに首都を遷したところで苦労が無くなったわけじゃない。フェリペ2世の苦労はまだまだ続くんだ。
西暦1565年には、聖ヨハネ騎士団の本拠マルタ島を、スレイマン大帝の派遣したオスマン・トルコ軍が攻囲。地中海の要衝マルタ島を奪われては、地中海西部がイスラムの海になるかもしれない。しかし、フェリペ2世の臣下シシリア副王の派遣した援軍と聖ヨハネ騎士団の奮闘により、マルタ島は守りぬかれたんだ。
ほっと一息ついたのも束の間、こんどは足許のスペインで火がついた。イベリア半島の最後のイスラム王国ナスル朝の都だったグラナダで、旧イスラム教徒(モリスコ)達が反乱を起こしたんだ。西暦1568年のことだった。
その同じ年、フェリペ2世のカトリック政策に反発を強めたネーデルランドにおいても独立戦争が起こった。フェリペ2世にとっては、文字通りに内憂外患だね。
新大陸の銀の流入とレパントの海戦
でも、七転八倒のスペイン王フェリペ2世にも少しは運が向いてきたのか、西暦1570年頃からは新大陸からの銀の流入量が増えてきたらしい。財政的にはちょっと一息だね。
しかも、もう一つ良いことが起こった。イタリアのヴェネツィアやローマ法王庁、フィレンツェを中心とするトスカナ大公国などと構成したキリスト教諸国連合艦隊が、西暦1571年10月の「レパントの海戦」でオスマン・トルコの艦隊を撃ち破ったんだ。
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