ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1559年、フランス王アンリ2世が死去。王妃カトリーヌ・ド・メディチは、亡夫が愛妾に与えたシュノンソー城を奪い返した。


「6人の奥方の城」とも呼ばれるシュノンソー城

15-16世紀のフランス王の宮廷は、常にロワール川の流域を移動していたらしい。恒常的にパリに宮廷を置くようになったのは、ブルボン家のアンリ4世以後のことなんだそうな。

当時のフランス王家の人々が滞在していたロワール川流域の城の一つが、下の画像にあるシュノンソー城。「6人の奥方の城」という別名を持つ城だね。

ロワール川流域にあるシュノンソー城の遠望(フランス)

カトリーヌ・ド・メディチとポワティエ夫人

シュノンソー城に関係した「6人の奥方」たちの中でも、最も有名なのがカトリーヌ・ド・メディチとポワティエ夫人かな。イタリアの古都フィレンツェの名門メディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディチは、ヴァロワ・アングレーム家のフランス王アンリ2世の正室。他方、ポワティエ夫人(ディアンヌ・ド・ポワティエ)は同じアンリ2世の愛妾だ。

そして二人の婦人とシュノンソー城との関係なんだけど、生前のアンリ2世がシュノンソー城をポワティエ夫人に与えたところから始まるんだ。

西暦1559年、フランス王アンリ2世が亡くなった。そして、王位を継承したフランソワ2世の母カトリーヌ・ド・メディチは、シュノンソー城をポワティエ夫人から奪い返しちゃったわけだ。

余談ながら、そのカトリーヌ・ド・メディチなんだけど、王位についた息子たちは次々と若死にしちゃったんだ。その結果、フランス王となったのは、ブルボン家のアンリ(アンリ4世)だった。なんだかカトリーヌも可哀相な気がするね。




川面に映るシュノンソー城

貴婦人達の戦いの戦場となったシュノンソー城。しかし、川面に映る姿(下の画像)は、本当に美しいね。ロワールで最も美しい城と称されるだけのことはある。

ロワール川流域にあるシュノンソー城の川面に映る姿(フランス)

その後のシュノンソー城なんだけど、西暦1913年に城の所有権はフランスの財閥ムニエ家にわたっている。同家はチョコレートの製造業者なんだってさ。

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