ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦431年、古代ローマ帝国のエフェソス(現トルコ)の公会議でネストリウス派が異端とされる一方で、聖母マリアが神の母とされた。


古代ローマ帝国の街で開かれたエフェソスの公会議

現在はトルコ領となっている小アジア。その西部の海岸地帯に、古代ローマ帝国の街エフェソスがあったんだ。

エフェソスの遺跡に残る古代ローマ帝国時代の道(トルコ) 西暦431年に、その古代エフェソスの街で公会議が開かれた。(右の画像は、現在のエフェソスの遺跡に見る古代ローマ帝国時代の道。)

三回目の公会議となるエフェソスの公会議では、キリスト教にとって重要ないくつかの決定が下されたんだそうな。

聖母マリアは神の母であり、
それを否定するネストリウス派は異端

エフェソスの公会議で決定されたことの一つに、聖母マリアは神の母であるということがあった。他方で、聖母マリアは人間としてのイエス・キリストの母であるに過ぎないとするネストリウス派が異端とされたんだ。

その後のネストリウス派(景教)は東方に信者を見出し、現在のイラン、イラク、インド、中国へも広がって行ったんだ。16世紀には東方のネストリウス派はローマ・カトリックに合体させられたんだけど、今でもネストリウス派の教会は生き残っているらしいよ。

現トルコ領エフェソスに残る
古代ローマ帝国の時代の遺跡

ところで、西暦431年の公会議の舞台となったエフェソスの街なんだけど、これが長い歴史を誇る街だった。伝説では、古代アテネの王子アンドロクロスがイオニア系のギリシャ人を指揮して築いたのが街の始まりだとされている。

紀元前7世紀にはキンメリア人がエフェソスの街を攻撃し、やがて紀元前5世紀にはアケメネス朝ペルシャによって占領されている。

紀元前4世紀にはアレクサンダー大王の帝国に併合され、西暦1世紀には古代ローマ帝国のアジア州の都とされた。

そして西暦7-8世紀、イスラム教徒の侵略を受け、人々はエフェソスの街を見捨てた。でも、その結果としてエフェソスの遺跡は古代ローマ帝国時代の様子を今に残している。

ケルスス(セルシウス)の図書館(エフェソス、トルコ)

エフェソスの遺跡に残るケルススの図書館(トルコ) 右の画像は、ケルスス(セルシウス)の図書館と呼ばれる2世紀の建物の遺跡。かつては12万冊の蔵書を誇る大図書館だったらしい。

でも、西暦3世紀のゴート族の侵入の際に破壊されてしまったんだそうな。

アルカディアン通り(エフェソス、トルコ)

エフェソスの遺跡に残る古代のアルカディアン通り(トルコ) 右の画像は、アルカディアン通りと呼ばれる古代ローマ帝国時代の道。かつてのアルカディアン通りは、エフェソスの街の円形劇場から港まで続いていて、街灯まで備えられた大通りだったんだそうな。

でも、古代のエフェソスの港は2世紀頃から砂で埋まり始め、それがエフェソスの街を衰退に導くことになったらしいよ。

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