ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦432年、イタリアの街道の街ボローニャで聖ペトロニウスが司教となった。


街道の街ボローニャの守護聖人となった聖ペトロニウス

領土を広げる度に道路を建設してきた古代ローマなんだけど、古代ローマが紀元前187年に建設したのがローマから北に向かうエミリア街道だった。そのエミリア街道の中枢が、古代ローマの植民都市ボノーニャだった。その街が今のエミリア・ロマーニャ州の州都ボローニャとなっている。

イタリアの街道の街ボローニャの聖ペトロニウス聖堂の正面ファサードの彫刻 中央が聖母子で左側が聖ペトロニウス

そんな街道の街ボローニャの守護聖人は聖ペトロニウス(あるいはサン・ペトロニオ)。彼は西暦342年にボローニャの司教となった人物だった。上の画像はボローニャにある聖ペトロニウス聖堂の正面ファサードの彫刻なんだけど、中央が聖母子像で左側が聖ペトロニウスなんだそうな。彫刻の真下から見上げて撮影したもんだから、とっても見難いんだけど。

聖ペトロニウスの生い立ち

聖ペトロニウスがいつ何処で生まれたのかは定かではない。でも、古代ローマ帝国の貴族の家に生まれたと伝えられている。その父親は古代ローマ帝国の属州ガリア(今のフランス)に役人として赴任していたそうな。

フランスのリヨンに残る古代ローマ帝国時代の劇場

というわけで、聖ペトロニウスもガリアで生まれ育ったのかもしれないね。ちなみに、上の画像はフランス第2の街リヨンに残る古代ローマ帝国時代の劇場なんだ。リヨンは属州ガリア・ルグドゥネンシスの中心都市(当時の名前はルグドゥヌム)だった。幼い頃の聖ペトロニウムも、この劇場でお芝居とかを観たのかも。

ボローニャの司教となった聖ペトロニウス

聖ペトロニウスは若い頃からキリスト教を篤く信仰し、苦行に打ち込んだらしい。更には巡礼として聖地に赴いたこともあった。そんな彼がイタリアの街道の街ボローニャの司教となったのは西暦432年のことだった。

イタリアの街道の街ボローニャの聖ステファノ教会群の中の柱と絵

聖ペトロニウスはボローニャにおいて聖ステファノ教会群を建立したと伝えられている。上の画像はその聖ステファノ教会群の中の様子なんだけど、小さな窓、柱や人物の絵に教会の古さが感じられるよね。

聖ペトロニウス聖堂

ボローニャの司教となった聖ペトロニウスは、西暦450年頃に亡くなったとされている。それから700年近くが経った西暦1141年には彼の遺骸が発見されたそうな。そんな聖ペトロニウスに捧げられたのが、下の画像にある聖ペトロニウス聖堂。ボローニャの中心にあり、市役所や宮殿に囲まれたマッジョーレ広場のすぐ南にあるんだ。

イタリアの街道の街ボローニャの聖ペトロニウス聖堂の未完成の正面ファサード

この聖堂の工事は西暦1479年に一旦は完了している。でも、西暦1514年に改修案が提出されて再び工事が始まった。ローマにあるサン・ピエトロ大聖堂を凌駕する聖堂にしようとするとっても野心的な改築だった。でも、結局は完成に至らず。おかげで上の画像に見えるような中途半端な外観になっているわけだ。

ところで、この聖ペトロニウス聖堂に対して、西暦2002年と西暦2006年の二度にわたってテロの陰謀があったとされている。その首謀者はアル・カイダの関係者だったともイスラム教徒だったとも言われている。というのも、この聖堂の中にある15世紀のフレスコ画がイスラム教を貶めていると解されているらしい。

そのフレスコ画は、イスラム教の開祖であるムハンマドが地獄で責め苦を受けている様子を描いているとか。そのフレスコ画を見たことはないけど、もしそうならば確かにイスラム教徒の怒りをかうのは間違いないだろうね。聖ペトロニウスがそれを望むとも思えないけど ・・・ 。

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