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紀元前 44年、古代ローマにおいて、ジュリアス・シーザー(カエサル)が暗殺された。
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ジュリアス・シーザー(カエサル)と 古代ローマの三頭政治
紀元前100年7月13日、古代ローマ(もちろん現在のイタリアの首都)の貴族であるユリウス一族のカエサル家に一人の男の子が生まれた。帝王切開で生まれたその子は、ガイウスと名づけられた。これが後のガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)である。
紀元前60年、40歳となったカエサルは、ポンペイウス、クラッススと共に三頭政治を開始。軍人として抜きん出た功績を持つポンペイウス、資金力を持つクラッスス、人々の人気を誇るカエサルの三人が協力して、古代ローマ帝国の政治を牛耳ったわけだ。
但し、この三人が仲良しだったわけではないみたい。要は三人のうち誰も独力では支配を確立できなかったんだ。ポンペイウスは勢力はあったもののそれ故に元老院には嫌われていたし、クラッススは金持ちだったけど大衆の人気はなかった。対するカエサルは人気者だったけど実力は伴っていなかったらしいよ。
カエサル(シーザー)のガリア遠征・ブリタニア遠征
紀元前58年、カエサルがガリア遠征に出発した。更に紀元前55年、カエサルがブリタニア(現在のイギリス)に遠征を行った。(右の画像は、ナポリにある国立考古学博物館に見るカエサル像。)
紀元前52年、ウェルキンゲトリクスに率いられて蜂起したケルト人を鎮圧した。
そして紀元前51年、カエサルが「ガリア戦記」を著した。この書物は現在においても当時のガリアに関する貴重な資料となっているんだ。
賽は投げられた ルビコン川を渡ったカエサル(シーザー)
ガリアを征服したカエサルは、次第に資金力を蓄えていった。しかも、彼と共に戦った軍団は、忠実な精鋭部隊に育っていたんだ。そして紀元前53年、三頭政治の一角を成していたクラッススが亡くなった。
残るポンペイウスは、人気に加えて資金力と軍事力を蓄えたカエサルを警戒する元老院と手を結んだ。危機感を覚えたカエサルに追い討ちがかけられた。紀元前50年、カエサルに対して任地ガリアを離れてローマに帰還するようにとの命令が伝えられたんだ。
軍団と別れてローマに帰還すれば、彼の命さえも危ない。しかし、軍団を率いて川を渡れば、彼は反逆者となってしまう。迷った挙句、カエサルは決断した。賽は投げられた。
カエサルの率いる軍団の進撃に、ポンペイウスと元老院はギリシャへと後退した。そして紀元前48年6月7日、ギリシャのファルサロスにおいて、カエサルがポンペイウスに打ち勝った。そして7月25日、逃走したポンペイウスはエジプトで殺害されたんだ。
ちなみに、古代ローマ帝国の中でも、ポンペイウスの側に立ったか、カエサルの側に立ったかで運命は大きく違っている。例えば、フランス南部プロヴァンス地方にあった古代ギリシャ人の街マルセイユは、ポンペイウスの側に立った為に自治権を奪われているんだ。
独裁者カエサル(シーザー)の暗殺
ポンペイウスを倒したカエサルは、紀元前46年に任期10年の独裁官となった。その翌年の紀元前45年1月1日には、ユリウス暦を採用している。
そして紀元前44年3月15日、ブルートゥスらの共和主義者によって、独裁者カエサル(シーザー)が暗殺されたんだ。(下の画像は、カエサルの頃の面影を残すイタリアのフォロ・ロマーノの古代ローマ遺跡。)
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